朽木綱条
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 享和元年10月17日(1801年11月22日) |
死没 | 天保7年5月28日(1836年7月11日) |
改名 | 鉄五郎(幼名)、綱条、正庵・格斎(法号) |
戒名 | 宝鑑院殿格心全忠大居士 |
墓所 | 東京都港区高輪の泉岳寺 |
官位 | 従五位下・隠岐守 |
幕府 | 江戸幕府奏者番 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 丹波福知山藩主 |
氏族 | 朽木氏 |
父母 |
父:朽木倫綱、母:松平直紹の娘・千寿院 養父:朽木綱方 |
兄弟 | 綱徳、板倉勝資正室、木下俊敦正室、綱条、松平乗美正室 |
妻 |
正室:松平輝延の娘 継室:松平定信の養女・宝琳院 |
子 |
牧野康哉継室、日下部輔寛室、半井広国室、雄、朽木綱美正室、朽木綱張養女 養子:綱張、綱紀、健 |
朽木 綱条(くつき つなえだ)は、丹波国福知山藩の第11代藩主。福知山藩朽木家12代。諱は綱條とも記される。
生涯
[編集]享和元年(1801年)10月17日、第9代藩主朽木倫綱の長男として生まれる。文化7年(1810年)6月19日、第10代藩主・朽木綱方の養子となる。佐藤一斎に師事するなど、早くから聡明だったといわれる。文化14年(1817年)4月15日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下・隠岐守に叙任する。文政3年(1820年)6月6日、綱方の隠居により家督を継いだ。
文政6年(1823年)2月2日、大坂加番を命じられる。文政11年(1828年)9月1日、奏者番に就任する。要職を歴任して将来は老中にも期待されたが、これが出費を招き、さらに領内も凶作が相次いで財政に苦しんだといわれる。天保7年(1836年)5月28日に養父に先立って死去した。享年36。跡を養子の綱張が継いだ。