朽木倫綱
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 明和4年1月7日(1767年2月5日) |
死没 | 享和2年12月20日(1803年1月13日) |
改名 | 周三郎・千之助(幼名)、倫綱 |
戒名 | 義運院殿忠山誠功大居士 |
墓所 | 東京都港区高輪の泉岳寺 |
官位 | 従五位下・土佐守 |
幕府 | 江戸幕府 奏者番 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 丹波福知山藩主 |
氏族 | 朽木氏 |
父母 |
父:朽木舖綱、母:不詳 養父:朽木昌綱 |
兄弟 | 文、左衛、倫綱 |
妻 | 松平直紹の娘・千寿院 |
子 |
綱徳、板倉勝資正室、木下俊敦正室、綱条、松平乗美正室 養子:綱方 |
朽木 倫綱(くつき ともつな)は、江戸時代後期の大名。丹波国福知山藩の第9代藩主。福知山藩朽木家10代。
略歴
[編集]明和4年(1767年)1月7日、第7代藩主・朽木舖綱の長男として誕生した。
天明6年(1786年)7月9日、第8代藩主・朽木昌綱の養子となる。同年12月15日(1787年2月2日)、第11代将軍・徳川家斉に拝謁する。天明7年12月18日(1788年1月25日)、従五位下・土佐守に叙任する。寛政12年(1800年)閏4月9日、昌綱の隠居により家督を継いだ。10月4日には奏者番に任じられるなど、将来を早くから嘱望されるほど有能だったが、養父の後を追うように享和2年(1802年)12月20日に死去した。享年36。
跡を昌綱の実子の綱方が継いだ。