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本多康明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
本多康明
時代 江戸時代中期
生誕 宝永6年(1709年
死没 享保15年8月10日1730年9月21日
改名 猪三郎、直三郎(幼名)→康明
墓所 長野県飯山市奈良沢の忠恩寺
官位 従五位下豊後守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
信濃飯山藩
氏族 本多氏(豊後守家)
父母 父:本多助芳、母:小笠原長重の養女
兄弟 彦次郎、戸田氏房正室、女子、豊次郎、松平直好正室、康明助有加納久武正室
養子:助有
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本多 康明(ほんだ やすあきら)は、信濃飯山藩の第2代藩主。広孝系本多家6代。官位は従五位下。豊後守。

経歴

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1709年正月、江戸藩邸で生まれる。幼名は猪三郎、直三郎。三男だったが長兄と次兄が早世していたため、1725年の父の死去により跡を継いだ。1730年、帰国中に病に倒れ、同年8月10日に飯山城にて死去した。享年22。嗣子がなく、家督は弟の助有が継いだ。

墓所は飯山市奈良沢の忠恩寺。

系譜

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父母

養子