本多助盈
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保3年(1718年)5月 |
死没 | 安永3年2月5日(1774年3月16日) |
別名 | 左門(通称)、利為(別名) |
戒名 | 仁崇院殿前勢州太守興誉徳山道務大居士 |
墓所 | 東京都港区六本木の教善寺 |
官位 | 従五位、相模守、豊後守、伊勢守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重→家治 |
藩 | 信濃飯山藩主 |
氏族 | 本多氏 |
父母 |
父:本多利紀、母:青山幸度の娘 養父:本多助有 |
妻 | 正室:秋田頼季の娘・蓮光 |
子 |
助之、助佳(三男)、助交(五男)、娘(松平直紹正室)、娘(松平守惇正室)、娘(朽木昌綱継室)、娘(織田信味室)、娘(本多助阜正室) 養子:助受 |
本多 助盈(ほんだ すけみつ)は、信濃飯山藩の第4代藩主。広孝系本多家8代。
生涯
[編集]享保3年(1718年)5月、旗本の本多利紀(本多忠利の十男・本多利政の子孫)の長男として生まれる。元文2年(1737年)に飯山藩第3代藩主の本多助有が死去し、実子がなかったため、助有の養子に迎えられて家督を継いだ。12月には従五位下・相模守に叙位・任官する。
藩政では寛保2年(1742年)に大水害により、大被害を受けている。また、大坂加番や奏者番を歴任した。安永2年(1773年)頃から病に倒れ、安永3年(1774年)2月5日に死去した。享年57。
嫡子の助之が早世したため、助之の長男・助受を養子に迎えて跡を継がせた。
系譜
[編集]父母
正室
- 蓮光、利喜姫 ー 秋田頼季の娘
子女
養子
- 本多助受 ー 助之の長男