コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

木佐徳三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

8代 木佐 徳三郎(きさ とくさぶろう、旧姓・勝部、雅号・平疇[1]1853年7月11日(嘉永6年6月6日[2][3])- 1941年昭和16年)10月23日[4])は、日本の地主実業家政治家衆議院議員。木佐家8代当主[1]。平田銀行頭取[3][5][6]。族籍は島根県平民[3][5][6]

経歴

[編集]

出雲国出雲郡坂田村(島根県簸川郡斐川町を経て現出雲市)で、地主、7代・勝部本右衛門栄忠の六男として生まれ、楯縫郡平田村(現出雲市)の7代・木佐徳三郎の養子となり、後に家督を継承し徳三郎を襲名した[1]幕末には最後の楯縫郡下郡役(したごおりやく)を務めた[1]

明治維新後、楯縫郡仮郷校取締、島根県第五十三・五十四両区戸長、兼学区取締心得、平田町会議員などを務め、1892年2月の第2回衆議院議員総選挙で島根県第三区から出馬して当選し、弥生倶楽部に所属して衆議院議員を一期務めた[2][4]

養蚕伝習所、平田製糸場を設置し、その後、平田両全製糸会社を組織して、蚕糸業の振興に尽力した[1][2]。実業界では、宍道湖水運のための蓬莱社の設立、平田銀行の設立(頭取就任)、一畑軽便鉄道の社長に就任するなどの活動を行った[1][2][4]

家族・親族

[編集]
木佐家
親戚

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 『島根県歴史人物事典』198頁。
  2. ^ a b c d 『簸川郡偉人篤行者伝』後編4-5頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第4版』き14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年12月7日閲覧。
  4. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』202頁。
  5. ^ a b c d e f 『人事興信録 第7版』き24 - 25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年12月7日閲覧。
  6. ^ a b c d e f 『人事興信録 第5版』き20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月6日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 簸川郡私立教育会編『簸川郡偉人篤行者伝』簸川郡私立教育会、1919年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『島根県歴史人物事典』山陰中央新報社、1997年。