曽根保夫
Yasuo SONE | |
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基本情報 | |
名前 | 曽根 保夫 |
生年月日 | 1950年3月9日(74歳) |
身長 | 161 cm (5 ft 3 in) |
体重 | 70 kg (154 lb) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛媛県 |
経歴 |
曽根 保夫(そね やすお、1950年3月9日 - )は、愛媛県出身のプロゴルファー。
来歴
[編集]1984年のデサントカップ北国オープンでは初日を海老原清治・内田繁・金井清一・栗原孝・山本洋一と並んでの7位タイ[2]でスタートし、3日目には磯崎功・吉武恵治・鈴村照男と並んでの5位タイ[3]、最終日には泉川ピート・鈴村照と並んでの6位タイ[4]に入った。
1985年のデサント大阪オープンでは吉川一雄・杉原輝雄・宮本康弘・小林恵一・磯村芳幸・寺元明男に次ぎ、中尾豊健・山本と並んでの7位タイ[5]に入った。
1988年の関西オープンでは初日を渡辺修・山本・杉原と並んでの24位タイ[6]でスタートし、2日目には中松幹雄・平石武則・金山和雄と並んでの2位タイ[7]、3日目には首位[8]に浮上し、最終日には前田新作に2打差付けて優勝[9]。
1995年にはアメリカ・フロリダミニツアーに参戦し、技術面ではデビッド・レッドベターのアカデミーで主にショートゲームをレッスンしてもらい、パターが確実に良くなった[10]。
2000年からはシニアに転向し、キャッスルヒルオープンでは5位[11]、藤田観光オープンでは須貝昇にプレーオフで敗れて2位[12]、コマツオープンでは秋富由利夫・上野忠美・上原宏一と並んでの4位タイ[13]に入った。
2001年にはキャッスルヒルオープンで小川清二と並んでの7位タイ[14]、第1回ファンケルクラシックで藤間達雄・森本俊治と並んでの5位タイ[15]、2002年には日本プロシニアでは上野・小林富士夫・中村通・山本善隆と並んでの9位タイ[16]に入った。
2006年には近畿オープンで井戸木鴻樹・水巻善典・高崎龍雄を抑えて優勝し[17]、PGAフィランスロピーリボーネストシニアでは中尾と並んでの6位タイ[18]に入り、日本プロ[19]を最後にレギュラーツアーから引退。
2012年のISPS HANDA CUP 灼熱のシニアマスターズでは初日に強風で全体的に伸び悩む展開の中、尾崎健夫・加瀬秀樹と2アンダーで首位に並ぶスタートを切った[20]。最終日にはスコアを伸ばせず、加瀬・室田淳・福沢孝秋と並び通算1アンダーの2位タイ[21]に終わった。
主な優勝
[編集]- 1988年 - 関西オープン
- 2006年 - 近畿オープン
脚注
[編集]- ^ a b 曽根 保夫 ソネ ヤスオ YASUO SONE
- ^ 朝日新聞縮刷版p501 昭和59年7月13日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p581 昭和59年7月15日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p615 昭和59年7月16日朝刊19面
- ^ 毎日新聞縮刷版p715 昭和60年7月22日朝刊19面
- ^ フルリーダーボード 関西オープン 1988 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR
- ^ フルリーダーボード 関西オープン 1988 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR
- ^ フルリーダーボード 関西オープン 1988 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR
- ^ フルリーダーボード 関西オープン 1988 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR
- ^ フロリダの第一歩 曽根 保夫(S25・3・9生)
- ^ キャッスルヒルオープンゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 藤田観光オープンゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 コマツオープン 2000
- ^ 各日最終成績 キャッスルヒルオープン
- ^ 各日最終成績 ファンケルシニアクラシック
- ^ 各日最終成績 日本プロゴルフシニア選手権大会コマツ杯
- ^ 〜世界の子供たちに愛の手を〜 サンケイスポーツ 近畿オープン(2006年)
- ^ 各日最終成績 PGAフィランスロピーリボーネスト シニアオープン
- ^ 曽根 保夫選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR
- ^ 尾崎健夫、加瀬、曽根が混戦を一歩リード!
- ^ 三好隆が逆転優勝!室田、加瀬らが2位