山本洋一
Yoichi YAMAMOTO | |
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基本情報 | |
名前 | 山本 洋一 |
生年月日 | 1957年2月24日(67歳) |
身長 | 177 cm (5 ft 10 in) |
体重 | 83 kg (183 lb) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府 |
経歴 |
山本 洋一(やまもと よういち、1957年2月24日 - )は大阪府出身のプロゴルファー。
来歴
[編集]茨木カンツリー倶楽部とは目の鼻の先にある茨木市立豊川中学校出身[1][2]で、山本善隆・中村通[3]、宮本康弘・前田新作・井戸木鴻樹も同校出身である[4]。
12歳からゴルフを始め、今田慶之助に師事し、1981年にプロ入りする[1]。
1984年の兵庫県オープンでは前田・吉川一雄・甲斐俊光に次ぐと同時に友利勝良・入江勉・木村政信を抑えての5位[5]、1985年にはデサント大阪オープンでは中尾豊健と並んでの7位タイ[6]に入った。
1984年のデサントカップ北国オープンでは初日を曽根保夫・海老原清治・内田繁・金井清一・栗原孝と並んでの7位タイ[7]でスタートし、2日目には前田と並んでの4位タイ[8]に着けた。
1985年の兵庫県オープンでは初日を吉川と並んで山本己沙雄の2位タイ[9]でスタートし、最終日には吉川・山本己に次ぐと同時に塩田昌宏・宮本康弘と並んでの3位タイ[10]に入った。
1986年には美津濃オープンで青木基正・岩下吉久・石井裕士、デビッド・イシイ(アメリカ)と並んでの8位タイ[11]に入った。
1988年のデザント大阪オープン[1]では最終日に65をマークし、杉原輝雄・金山和雄・寺田寿・中村を抑えると同時に宮本省三をプレーオフで下して優勝[12]。
同年の関西プロでは倉本昌弘・三上法夫・秋富由利夫・中村忠夫・中村・甲斐・中村彰男・友利に次ぐ10位タイ[13]に入る。
1989年には新韓東海オープン(韓国)で2連覇を狙う地元のパク・ナムシンは1打差抑え、1984年の海老原[14]以来5年ぶり2人目の日本人優勝を飾る[15][16]。
1991年のダイドードリンコ静岡オープンでは磯村芳幸・友利と並んで10位タイ[17]に入り、1999年の同大会[18]を最後にレギュラーツアーから引退。
主な優勝
[編集]- 1988年 - 大阪オープン
- 1989年 - 新韓東海オープン
脚注
[編集]- ^ a b c “山本 洋一 ヤマモト ヨウイチ YOICHI YAMAMOTO”. 公益社団法人 日本プロゴルフ協会. PGA会員詳細. 2023年11月20日閲覧。
- ^ “山本 洋一選手 プロフィール”. 日本ゴルフツアー機構. 2023年11月20日閲覧。
- ^ “あの頃ボクは若かった 昭和の履歴書 vol.25 -山本善隆-”. パーゴルフ プラス. 2021年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月20日閲覧。
- ^ 久保田千春 (2013年7月10日). “関西で人気絶大、正確無比なショット――シニアで輝く井戸木鴻樹の源流”. スポーツナビ. 2023年11月20日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p306 昭和59年7月8日朝刊16面
- ^ 毎日新聞縮刷版p715 昭和60年7月22日朝刊19面
- ^ 朝日新聞縮刷版p501 昭和59年7月13日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p544 昭和59年7月14日朝刊16面
- ^ 毎日新聞縮刷版p441 昭和60年7月13日朝刊19面
- ^ 毎日新聞縮刷版473 昭和60年7月14日朝刊19面
- ^ “フルリーダーボード”. 日本ゴルフツアー機構. 美津濃オープン 1986. 2023年11月20日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p860 昭和63年7月18日朝刊22面
- ^ “フルリーダーボード”. 日本ゴルフツアー機構. 関西プロ選手権 1988. 2023年11月20日閲覧。
- ^ “제 4회 (1984)” [第4回(1984)] (朝鮮語). 신한동해오픈. 2023年11月20日閲覧。
- ^ “제 9회 (1989)” [第9回(1989)] (朝鮮語). 신한동해오픈. 2023年11月20日閲覧。
- ^ “シンハンドンヘオープンってどんな大会?【国内男子ツアー JGTO】”. ゴルフダイジェスト・オンライン. 2023年11月20日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード”. 日本ゴルフツアー機構. ダイドードリンコ静岡オープン 1991. 2023年11月20日閲覧。
- ^ “山本 洋一選手 年度別大会成績”. 日本ゴルフツアー機構. 2023年11月20日閲覧。
外部リンク
[編集]- 山本洋一 - 日本ゴルフツアー機構のプロフィール