吉武恵治
Keiji YOSHITAKE | |
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基本情報 | |
名前 | 吉武 恵治 |
生年月日 | 1947年9月20日(77歳) |
国籍 | 日本 |
経歴 |
吉武 恵治(よしたけ けいじ、1947年9月20日 - )は、日本のプロゴルファー。
来歴
[編集]1979年の第1回かながわオープンでは安田春雄・羽川豊・榎本七郎・岩下吉久・金井清一に次ぐと同時に田中文雄・河野高明と並んでの6位タイ[1]でスタートし、最終日には森憲二・羽川・村上隆・岩下に次ぐと同時に矢部昭・青木功・河野・安田を抑え、金井・榎本と並んでの5位タイ[2]に入った。
1982年の関東オープンでは尾崎将司・羽川・磯崎功・小林富士夫に次ぐと同時に菊地勝司・杉本英世・中嶋常幸と並んでの5位タイ[3]、1983年のKSB瀬戸内海オープンでは十亀賢二・安田に次ぐと同時に牧野裕・内田繁・藤木三郎・小林・杉原輝雄・新井規矩雄・金井・高橋五月と並んでの3位タイ[4]に入った。
1983年のブリヂストントーナメントでは2日目に69をマークしてヘール・アーウィン(アメリカ)と並んでの6位タイ[5]、3日目にはギル・モーガン&リー・トレビノ&アーウィンのアメリカ勢と並んでの5位タイ[6]に着けた。
1984年の千葉県オープンでは初日を松井角次・文山義夫・額賀靖生・中山徹・池原厚・松本紀彦・と並んでの6位タイ[7]でスタートし、デサントカップ北国オープンでは3日目に磯崎功・曽根保夫・鈴村照男と並んでの5位タイ[8]に着けた。かながわオープンでは初日に石井秀夫・草壁政治と共に67をマークし、磯崎・新関善美・矢部・大町昭義・尾崎将・金井・稲垣太成を抑えて首位タイ[9]スタートを決めた。
1984年の日本プロでは初日にグリーンが速く、パットに苦しむ選手が続出する中、ショット、パットとも好調で、4アンダー67で尾崎直道と並んでの首位タイ[10] [11] [12]スタートを決める。
1986年の関東オープン[13]を最後にレギュラーツアーから引退。
脚注
[編集]- ^ 毎日新聞縮刷版p46 昭和54年5月2日朝刊14面「左打ちアマ大健闘」
- ^ 毎日新聞縮刷版p85 昭和54年5月3日朝刊15面「森が逆転優勝 アマ羽川二位 かながわオープン」
- ^ 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】富士小山ゴルフクラブ。ジャンボ尾崎の1年9ヶ月ぶりの復活。1982年関東オープン
- ^ 朝日新聞縮刷版p1079 昭和58年3月28日朝刊19面
- ^ 朝日新聞縮刷版p853 昭和58年10月22日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p888 昭和58年10月23日朝刊16面
- ^ 朝日新聞縮刷版p379 昭和59年7月10日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p581 昭和59年7月15日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p847 昭和59年7月22日朝刊19面
- ^ 朝日新聞縮刷版p99 昭和59年8月3日朝刊19面「尾崎直・吉武がリード 青木93位出遅れる 日本プロゴルフ」
- ^ 第52回日本プロゴルフ選手権(1984年)
- ^ 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】ミナミ菊川カントリークラブ。全英のセベの一打に中嶋常幸は“プロ”を魅せられ、燃えた。1984年日本プロ
- ^ 吉武 恵治選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site