高橋五月
Satsuki TAKAHASHI | |
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基本情報 | |
名前 | 高橋 五月 |
生年月日 | 1948年5月6日(76歳) |
身長 | 177 cm (5 ft 10 in) |
体重 | 77 kg (170 lb) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
経歴 |
高橋 五月(たかはし さつき、1948年5月6日 - )は神奈川県横浜市出身[1]のプロゴルファー。
来歴
[編集]荒川高校卒業[2]後に21歳でゴルフを始め[3]、杉本英世に師事[1]。
1974年秋のプロテストに26歳で合格し[2] [3]、1975年の美津濃プロ新人では4位タイ[4]に入った。
1980年の岐阜関カントリー倶楽部開場15周年記念「岐阜関チェリーカップトーナメント」[5]では2日目に松田敏博・寺本一郎・川上実と並んでの5位タイ[6]に浮上し、最終日には68をマークしてミヤ・アエ(ビルマ)の2位[7] [8]に入る。日本プロでは初日の14番パー5で第2打を20cmにつけるイーグルが効いたか、河野高明・中嶋常幸と共に2アンダー69で並んで首位タイとなる[3]。プロ6年目で初の首位発進を決めると、2日目も踏ん張って5バーディー、3ボギー、4ダブルボギーのイーブンパー71で通算2アンダーをキープし、宮本省三に並ばれたが、初の2日間首位も経験[3]。最終的には山本善隆・金井清一・鷹巣南雄・鈴木規夫・河野に次ぐと同時に宮本・長谷川勝治・藤木三郎を抑え、出口栄太郎・安田春雄と並んでの7位タイであった[3]。
1981年から1986年までシード選手[1]として活躍し、1981年の第1回KSB香川オープンで内田繁・宮本・藤木・高橋純一・榎本七郎と並んでの5位タイ[9]に入り、群馬県オープンでは小林富士夫・川田時志春・中嶋・新井規矩雄を抑えると同時にプレーオフで高橋勝成を下して優勝[10] [11] [12]。
1982年にはKSB香川オープンで内田・新井に次ぐ3位[13]、ダンロップ国際オープンで許勝三(中華民国)・高橋勝と並んでの7位タイ[14]、美津濃トーナメントでは杉原輝雄・羽川豊・内田に次ぐと同時に中嶋・鈴木を抑えての4位[15]に入った。
1983年のKSB瀬戸内海オープンでは初日を十亀賢二・杉原に次ぐと同時に藤木・金井・前田新作・新井・高橋を抑え、磯崎功・小林と並んでの3位タイ[16]でスタートし、最終日には十亀・安田に次ぐと同時に牧野裕・内田・藤木・小林・吉武恵治・杉原・新井・金井と並んでの3位タイであった[17]。ゴルフダイジェストトーナメントでは初日を64で首位[18] [19]スタートし、2日目には2日間60台の内田に並ばれて首位タイ[20]、3日目には辛うじてパープレーで首位を守ったが[21]、最終日には中嶋・藤木・河野和重・青木功と並んでの3位タイ[22] [23]に入った。ブリヂストントーナメントでは2日目の12番パー3でホールインワンを達成[24]。
1984年のパールカントリークラブオープンでは鷹巣・石井裕士に次ぐと同時にデビッド・イシイ(アメリカ)、泉川ピートを抑えての3位[25]に入り、帰国後のKSB瀬戸内海オープンでは藤木と並んでの4位タイ[26]、全日空札幌オープンでは泉川とのプレーオフに敗れて[27] [28]2位に終わる[29] [30]。栃木県オープンでは初日を河野・安達典夫と並んでの3位タイ[31]でスタートし、町野治・川波通幸に次ぐ3位タイ[32]に留まった。KBCオーガスタでは初日に6バーディー、ノーボギーの安定したプレーで6アンダー66の首位[33]スタートを決め、2日目もノーボギー67とスコアをまとめて11アンダー133で首位を守る[34]。3日目は藤木、ドン・プーリー(アメリカ)、出口と並んでの8位タイ[35]に後退し、最終日には尾崎健・倉本昌弘・牧野、ジョーイ・シンドラー(アメリカ)と並んでの5位タイ[36]に入った。ダンロップフェニックストーナメントではフレッド・カプルス(アメリカ)、倉本、ジョニー・ミラー(アメリカ)と並んでの7位タイ[37]に入った。
1985年の栃木県オープンでは浅井教司・渡辺司と並んでの4位タイ[38]に入った。KBCオーガスタでは3日目が台風13号の直撃で中止して迎えた最終日[39]、飯合肇、ファジー・ゼラー(アメリカ)、青木功・尾崎将司・出口と共に9アンダーで並ぶ激戦を繰り広げ、飯合の2位タイであった[40]。
1986年の東北クラシックでは森憲二・宮本康弘・前田と並んでの10位タイ[41]に入るが、森・宮本と共にレギュラーツアーでの最後の十傑入りとなる。
1987年のテーラーメイド瀬戸内海オープンでは新井・新関善美・杉原、ブレッド・オグル(オーストラリア)、入江勉と並んでの5位タイ[42]に入った。
1989年のゴルフダイジェストトーナメント[43]を最後にレギュラーツアーから引退し、その後はテレビ東京解説者[44]などのテレビ出演、レッスン指導、講演と幅広く活躍[2]。
レッスンは歯に衣着せぬ発言と親しみのあるキャラクターから好評し、師匠の杉本に勝るとも劣らないゴルフ理論を持つ[2]。「原則はひとつ。しかし基本はプレーヤーの数だけある」が口癖で、セオリーといわれる基本を、それぞれのプレーヤーの個性に合わせ、アレンジし、プレーヤーに最も適したグリップ、スイングを指導、人気を博す[2]。
「もっと飛ばしたい」「ボールを曲げたくない」「もっと寄せたい」「パターが上手になりたい」「もっといいスコアーで回りたい」など悩むアマチュア・ゴルファーへのゴルフ教室、ワンポイントレッスンは実戦的で分かりやすく好評であったほか、講演ではゴルフコンペでのスコアメイクのコツ、試合での駆け引き、トッププロの人間像、プロの練習方法などの裏話も面白く聞かせた[45]。
2023年までは栃木県下都賀郡壬生町の宮の森カントリー倶楽部に所属し[1]、2024年までは川波・高橋完・植田浩史と共に栃木県プロゴルフ会メンバー[46]であった。
主な優勝
[編集]- 1981年 - 群馬県オープン
- 1986年 - 栃木オープン
脚注
[編集]- ^ a b c d 俱楽部概要 - 宮の森カントリー倶楽部
- ^ a b c d e 高橋五月 プロフィール|講演依頼・講師派遣のシステムブレーン
- ^ a b c d e 第48回日本プロゴルフ選手権(1980年)山本善隆が初日本一で通算10勝の区切り
- ^ 朝日新聞縮刷版p937 昭和50年5月31日朝刊15面「男子は久保が優勝 美津濃プロ新人ゴルフ」
- ^ 岐阜関カントリー倶楽部オフィシャルサイト | 当倶楽部について
- ^ 毎日新聞縮刷版p631 昭和55年4月20日朝刊19面
- ^ 毎日新聞縮刷版p655 昭和55年4月21日朝刊19面
- ^ “Mya Aye wins Gifuseki Open”. The Business Times. AP: p. 11. (21 April 1980)
- ^ 朝日新聞昭和56年3月30日朝刊19面
- ^ 毎日新聞縮刷版p416 昭和56年7月13日朝刊14面
- ^ 朝日新聞縮刷版p471 昭和56年7月13日朝刊19面
- ^ 群馬県オープン 1981 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 朝日新聞縮刷版p1179 昭和57年3月29日朝刊19面「内田が優勝 香川オープンゴルフ」
- ^ JGA 日本ゴルフ協会【アジア ゴルフ サーキット ダンロップ インターナショナル オープン ゴルフ 選手権競技】
- ^ 第12回 1982年(昭和57年)|ゴルフ|ミズノ公式オンライン
- ^ 朝日新聞縮刷版p1044 昭和58年3月27日朝刊16面「十亀が初日リード」
- ^ 朝日新聞縮刷版p1079 昭和58年3月28日朝刊19面
- ^ 朝日新聞縮刷版p522 昭和58年10月14日朝刊16面
- ^ 毎日新聞縮刷版p437 昭和58年10月14日朝刊19面
- ^ 毎日新聞縮刷版p473 昭和58年10月15日朝刊19面
- ^ 毎日新聞縮刷版p509 昭和58年10月16日朝刊23面「混戦、4打差に21人」
- ^ 朝日新聞縮刷版p642 昭和58年10月17日朝刊18面「金井が逆転V ダイジェストゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p540 昭和58年10月17日朝刊22面「金井が逆転優勝」
- ^ 毎日新聞縮刷版p731 昭和58年10月22日朝刊19面「出口、抜け出す」
- ^ ハワイパールオープン
- ^ 朝日新聞縮刷版p994 昭和59年3月26日朝刊18面
- ^ 1984年09月16日 泉川が逆転優勝 全日空オープンゴルフ
- ^ 泉川ピート 男子プロゴルファー 全日空札幌オープン 最終日
- ^ 大会の歴史|第49回ANAオープンゴルフトーナメント
- ^ 全日空札幌オープン 1984 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 朝日新聞縮刷版p417 昭和59年7月11日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p460 昭和59年7月12日朝刊16面
- ^ 朝日新聞縮刷版p844 昭和59年8月24日朝刊16面「高橋五、66で首位 1打差、中島ら6人追う KBCゴルフ 第一日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p884 昭和59年8月25日朝刊16面「尾崎直、37人抜き2位 高橋五は11アンダーで首位守る KBCゴルフ 第二日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p923 昭和59年8月26日朝刊17面「中島 12アンダー単独トップ KBCゴルフ 第三日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p956 昭和59年8月27日朝刊18面「尾崎直が逆転、初優勝 混戦、中島・井上を退ける KBCゴルフ 最終日」
- ^ 毎日新聞縮刷版p603 昭和59年11月19日朝刊19面「シンプソン逆転優勝 プレーオフで 安田ガタガタ1日天下 ダンロップ・フェニックス・ゴルフ最終日」
- ^ 毎日新聞縮刷版p582 昭和60年7月18日朝刊14面
- ^ Sansan KBCオーガスタゴルフトーナメント2023|KBC九州朝日放送
- ^ KBCオーガスタ 1985 - フルリーダーボード - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ フルリーダーボード 東北クラシック 1986 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 朝日新聞縮刷版p1243 昭和62年3月30日朝刊23面
- ^ 高橋 五月選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 高橋五月のTV出演情報 | ORICON NEWS
- ^ ~ゴルフから学ぶ経営戦略~ 勝負どころで力を発揮するために 高橋五月 たかはしさつき プロゴルファー
- ^ 栃木県プロゴルフ会:メンバー紹介