高橋純一 (ゴルファー)
Junichi TAKAHASHI | |
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基本情報 | |
名前 | 高橋 純一 |
生年月日 | 1949年3月12日(75歳) |
身長 | 166 cm (5 ft 5 in) |
体重 | 68 kg (150 lb) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府 |
経歴 |
高橋 純一(たかはし じゅんいち、1949年3月12日 - )は、京都府出身のプロゴルファー。
来歴
[編集]中学3年時に兄と一緒に受けたラウンドレッスンがきっかけでゴルフを始めると[1]、慶應義塾高等学校時代よりゴルフ部に所属し[2]、同大学商学部を経て[2]、ハワイ・ワイアラエ・ゴルフクラブで本格的なゴルフ修行を始める[2] [3]。
1971年にアメリカPGAのプロテストに合格し[3] [2]、同年のハワイマッチプレー、ハワイJALオープンほか6勝する[2]。
1976年のヤングライオンズでは中嶋常幸・前田新作に次ぐ3位[4]、1978年の阿蘇ナショナルパークオープンでは上野忠美・藤間達雄・鈴村照男・前田・菊地勝司・新井規矩雄に次ぐ7位[5]、1980年は阿蘇ナショナルパークオープンでは森憲二・吉川一雄・杉本英世・河野高明・横島由一と並んでの7位タイ[6]、1981年の第1回KSB香川オープンでは内田繁・宮本省三・藤木三郎・高橋五月・榎本七郎と並んでの5位タイ[7]、1982年の埼玉オープンでは6位タイ[8]に入った。
1983年にはハワイパールオープンでデビッド・イシイ(アメリカ)、青木基正・倉本昌弘・関水利晃に次ぐと同時に鷹巣南雄・牧野裕・高橋五と並んでの9位タイ[9]に入り、アジアサーキット・インディアンオープンではボブ・トウェイ(アメリカ)、謝玉樹(中華民国)との三つ巴のサドンデス・プレーオフを制して優勝[10] [11] [12]。インディアンオープンでは3日目で3位に浮上し、最終日73で回って通算3アンダー285をマーク、トウェイ・謝とのプレーオフとなる[11] [12]。1番ホールで3打ともパーの後に2番ホールでバーディを奪い、トウェイと謝がボギーを叩いたため、高橋の初優勝が決まった[11] [12]。アジアサーキットでは1977年タイランドオープンでの秋富由利夫以来6年ぶりの日本人選手の海外優勝[11]、同大会では1968年の細石憲二以来となる日本人選手の優勝で、1万2492ドルの小切手を受け取った[10]。
帰国後は国内のトーナメントに専念し、1985年の日本オープン[13]を最後にレギュラーツアーから引退。
妻の実家がゴルフ場会員権事業の「住地ゴルフ」で、1984年からは渋谷を皮切りに『住地ゴルフスクール』を始める[3]。その後はゴルフスクールの運営を基盤としてゴルフに関する様々な関係のイベントの企画、運営に着手[2]。
同スクールは2019年から『MINATOGOLF』に改称され、現在はスクール運営会社JGS取締役会長を務める[3]。
一方で港区ゴルフ連盟の会長を務め、年2回の区民ゴルフ大会開催や、一部東京の競技大会への参加に加え、ゴルフ人口拡大に向けてゴルフスクールの開講やジュニア育成に取り組んでいる[3]。
港区体育協会の一員でもあり、港区体育祭など区民の親睦の場を提供すると共に、老若男女問わず一緒に楽しくプレーできるスポーツとしてゴルフ競技の発展を目指している[3]。
主な優勝
[編集]- 1983年 - インディアンオープン
脚注
[編集]- ^ “高橋 純一プロ - MinatoGolfのオフィシャルホームページ”. minatogolf.jp. 2023年11月18日閲覧。
- ^ a b c d e f “当スクールについて - MinatoGolfのオフィシャルホームページ”. 2022年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月18日閲覧。
- ^ a b c d e f “東京タワーにナイスショット 都市ビルの屋上を活かした練習場 - GEW”. www.gew.co.jp. 2023年11月18日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p538 昭和51年8月20日朝刊16面「中島、逆転優勝飾る ヤングライオンズ・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p331 昭和53年4月10日朝刊19面「上野が初栄冠 阿蘇オープン」
- ^ 毎日新聞縮刷版p219 昭和55年4月7日朝刊17面
- ^ 朝日新聞昭和56年3月30日朝刊19面
- ^ 毎日新聞縮刷版p353 昭和57年8月13日朝刊15面
- ^ “ハワイパールオープン”. 2012年2月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月25日閲覧。
- ^ a b “Junichi clinches crown”. The Straits Times (Singapore): p. 38. (4 April 1983). オリジナルの7 February 2020時点におけるアーカイブ。 18 March 2020閲覧。
- ^ a b c d “【日本男子の海外挑戦記・昭和編 48】ゴルフ界のレベルアップに寄与したアジアサーキットの終焉”. facebook.com. 2024年3月7日閲覧。
- ^ a b c 日刊スポーツ1983年4月5日「インド・オープン 高橋純が初優勝」
- ^ “高橋 純一選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年11月18日閲覧。