明治村 (神奈川県)
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めいじむら 明治村 | |
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廃止日 | 1908年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 藤沢大坂町、明治村、鵠沼村 → 藤沢町 |
現在の自治体 | 藤沢市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 神奈川県 |
郡 | 高座郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,464人 (明治四十年五月町村分合ニ関スル書類、1907年) |
隣接自治体 | 藤沢大坂町、鵠沼村、六会村、松林村、小出村 |
明治村役場 | |
所在地 | 神奈川県高座郡明治村羽鳥 |
座標 | 北緯35度20分49秒 東経139度27分20秒 / 北緯35.346944度 東経139.455556度座標: 北緯35度20分49秒 東経139度27分20秒 / 北緯35.346944度 東経139.455556度 |
ウィキプロジェクト |
明治村(めいじむら)は、神奈川県の中央南部、高座郡に属していた村。
地理
[編集]- 河川:引地川
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により[1]、神奈川県高座郡辻堂村、大庭村、羽鳥村および稲荷村が合併し明治村が成立する[2]。
- 1892年(明治25年)4月 - 小学尋常羽鳥学校と小学尋常辻堂学校が合併し、尋常日進小学校と改称する。
- 1897年(明治30年)9月8日 - 大風で耕余義塾の全学舎が倒壊する。
- 1900年(明治33年) - 耕余義塾が、閉塾する。
- 1903年(明治36年)5月5日 - 尋常日進小学校は、明治村立尋常高等明治小学校(現在の藤沢市立明治小学校)として創立する。
行政
[編集]村長は以下の通りである。
村長
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、明治村の篤農家は吉田姓の人物がいた[4]。『神奈川文庫 第五集 百家明鑑』によれば、農業を営む人物は角田、川崎、吉田、高橋、相澤、三觜姓の人物がいた[5]。農蚕業を営む人物は門倉、山崎、相澤、櫻井、三觜、廣野姓の人物がいた[5]。
- 商工業
商工業者は甘藷卸売商の久保田、米穀商、水車業並粉類の藤間、製糸業の三觜、米穀、肥料商の羽鳥屋 三觜などがいた[5]。また三觜製造場が存在した[5]。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]東海道線が通るが、明治村当時は村内に駅はなく、藤沢町へ合併後、1916年(大正5年)に辻堂駅が開業。
道路
[編集]出身・ゆかりのある人物
[編集]脚注
[編集]- ^ 1889年(明治22年)3月11日神奈川県令第10号『市制町村制施行ノ件 (明治22年神奈川県令第10号)』。ウィキソースより閲覧。
- ^ 1989年(明治22年)3月31日神奈川県令第9号「町村分合改稱」別冊
- ^ 『代表的日本之人物』275頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月12日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』274頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月10日閲覧。
- ^ a b c d 『神奈川文庫 第五集 百家明鑑』171-173頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月16日閲覧。
参考文献
[編集]- 小幡宗海編『神奈川文庫 第五集 百家明鑑』神奈川文庫事務所、1900年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 中外新聞社編『代表的日本之人物』中外新聞社、1936年。
関連項目
[編集]小出村 | 六会村 | 藤沢大坂町 | ||
松林村 | 鵠沼村 | |||
明治村 | ||||
(相模湾) |