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三觜進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三觜 進(みつはし すすむ、1893年明治26年)2月20日[1] - 没年不明)は、日本実業家。三信物産社長[1]池上通信機相談役[1]。満州銅鉛鉱業取締役[2][3]。藤沢市参事会[2][4]。三觜家15代当主[5]

人物

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神奈川県高座郡明治村(現藤沢市)出身。三觜舜太郎の長男[1][2][3][4]1914年に日本の学生テニス選手として初めて東洋選手権大会へ海外遠征し、出場をした[5]。住所は神奈川県藤沢市羽鳥[1][2][4]、同市辻堂[3]

家族・親族

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三觜家
旧三觜八郎右衛門家住宅
  • 祖父・八良右衛門[2][4]、あるいは八郎右衛門[6]
  • 父・舜太郎1867年 - ?、神奈川平民[6]地主、成歓鉱業副社長)[4]
  • 妻・千代1900年 - ?、神奈川、大河原與三郎の長女)[2][4][6]
  • 長男、二男、三男、四男、五男、六男、長女[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e 『人事興信録 第25版 下』み39頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 下』ミ26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月12日閲覧。
  3. ^ a b c 『人事興信録 第13版 下』ミ27頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月14日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』神奈川119頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月12日閲覧。
  5. ^ a b 旧三觜家で企画展、藤沢版(掲載号2017年7月14日号)、神奈川県全域・東京多摩地域に発行する無料の地域情報紙「タウンニュース」公式サイト。
  6. ^ a b c 『人事興信録 第6版』み5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月12日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年。