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姫路高等学校 (旧制)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
旧制姫路高等学校から転送)
姫路高等学校
(姫高)
創立 1923年
所在地 姫路市
初代校長 小松原隆二
廃止 1950年
後身校 神戸大学教養部・文理学部
同窓会
旧本館
旧講堂

旧制姫路高等学校(きゅうせいひめじこうとうがっこう)は、1923年大正12年)12月に設立された官立の旧制高等学校。略称「姫高」(ひめこう)。

概要

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沿革

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白陵寮(1929年頃)
白陵寮食堂(1929年頃)
  • 1923年12月11日:設立。初代校長は小松原隆二
  • 1925年1月:白陵寮完成。
  • 1927年2月:寮の完全自治権確立。
  • 1929年2月:自炊制度確立。
  • 1930年4月 - 12月:河本敏夫退学処分に端を発する全校ストライキ。
  • 1931年 - 1932年:共産主義青年同盟に対する弾圧。学生29名検挙、10名退学。
  • 1933年9月:白陵ホール開店。
  • 1940年3月:「姫高ヒューマニスト同盟事件」により学生6名検挙(実際は冤罪)。
  • 1949年5月:新制神戸大学発足にともない同大学に包括される。
  • 1950年3月:廃止。

歴代校長

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  • 初代:小松原隆二(1923年12月11日[2] - 1927年8月27日) 文部省督学官より就任。第八高等学校長に転任。
  • 第2代:山内雄太郎(1927年8月27日 - 1934年8月) 文部省督学官より就任。水戸高等学校長に転任。
  • 第3代:木村善太郎(1934年8月 - 1939年7月)  文部省視学官兼図書監修官より就任。退官により退任。。
  • 第4代:金子健二(1939年7月 - 1941年4月)  静岡高校長より転任。退官により退任。
  • 第5代:浅野孝之(1941年4月 - 1943年4月1日[3])  元成蹊高等学校長が就任。第七高等学校造士館校長に転任。
  • 第6代:緒方健三郎(1943年4月1日[3] - 1947年9月)  第六高等学校教授が就任。第七高等学校長に転任。
  • 第7代:松岡慎一郎(1947年9月 - 1949年5月) 新潟高等学校長より転任。元姫路高等学校教授。退官により退任。
  • 第8代:荒木良雄(1949年5月 - 1950年3月31日)  姫路高等学校教授から昇任。

校地の変遷と継承

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姫高の校地は兵庫県姫路市新在家(旧飾磨郡安室村)に存在し、1949年学制改革により、新制神戸大学姫路分校となった。神大姫路分校は1965年神戸市灘区六甲台地区に統合移転し、校地は姫路短期大学(後の姫路工業大学環境人間学部、現在の兵庫県立大学環境人間学部)が姫路市伊伝居から移転し継承した。旧制高校本館の一部(現在は、姫路短大・姫路工大環境人間学部・兵庫県大環境人間学部の同窓会館「ゆりの木会館」)と講堂(1926年築)が現存し、登録有形文化財に登録されている。

主な出身者

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政官界

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経済界

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文化・学術

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脚注

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  1. ^ 『神戸大学百年史』 通史Ⅰ 前身校史、649-650頁
  2. ^ 『官報』第3393号、大正12年12月13日。
  3. ^ a b 『官報』第4865号、昭和18年4月2日。

関連書籍

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  • 秦郁彦 『旧制高校物語』 文春新書、2003年 ISBN 4166603558
  • 『日本近現代史辞典』 東洋経済新報社1978年
  • 作道好男, 江藤武人編『ああ白陵の春の宵 : 姫路高校史』 財界評論新社、1968年
  • 『旧制姫路高等学校 白鷺城下の青春』「旧制姫路高等学校史」刊行会、1996年
  • 『姫山の残照:旧制姫路高等学校創立80周年記念誌』(白陵特別号) 旧制姫路高等学校同窓会、2003年
  • 『白陵寮史』姫路高等学校白陵寮編 白陵寮友会、1938年
  • 『姫路高等学校一覽』第1年度-第20年度 姫路高等学校、1924年-1943年
  • 水野潤一『旧制高校めし炊き青春譜 』 東洋経済新報社、1984年(著者は旧制姫路高校生)
尾崎ムゲン作成「文部省管轄高等教育機関一覧」参照
  • 神戸大学百年史編纂委員会 『神戸大学百年史』 通史Ⅰ 前身校史、2002年

テレビ放送

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関連項目

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外部リンク

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