日吉川秋斎
表示
初代
[編集]日吉川 秋斎(1900年1月12日 - 1970年5月9日)本名は阪井梅之助。浪曲親友協会会長(1963 - 1964年)。
大阪市出身。1912年初代日吉川秋水の弟子となる。戦後、ケレン(お笑い)読みで人気になった。『左甚五郎』『水戸黄門漫遊記』を得意とした。
1970年5月9日、胆嚢炎のため、枚方市協立病院で死去。墓所は、大阪市東淀川区の宮原墓地。
2代目
[編集]日吉川 秋斎(1911年8月16日 - 1981年1月4日)本名は下仲市松。
兵庫県川辺郡の生まれ、1932年に初代の門下で日吉川斎蔵、1935年に千日前愛進館で初舞台、1941年に一時「太刀原幸門」の名で安来節を取り入れた浪曲・音頭ショウ『太刀原幸門ショウ』をやったこともあったがその後浪曲に専念し1974年に日吉川鯉三郎を経て1975年に2代目を襲名した。初代譲りのケレン読みのネタ『左甚五郎』『水戸黄門漫遊記』を得意とした。
『太刀原幸門ショウ』時代のメンバー
[編集]ほか多数