方領 (あま市)
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方領 | |
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北緯35度12分37.32秒 東経136度49分9.69秒 / 北緯35.2103667度 東経136.8193583度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | あま市 |
面積 | |
• 合計 | 0.638308256 km2 |
人口 (2020年(令和2年)10月1日現在)[WEB 2] | |
• 合計 | 450人 |
• 密度 | 700人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
490-1101[WEB 3] |
市外局番 | 052[WEB 4] |
ナンバープレート | 名古屋[WEB 5] |
地理
[編集]河川・池沼
[編集]交通
[編集]- 愛知県道128号給父清須線
- 八神街道
施設
[編集]- 須佐之男社
- 八幡社
- 方領第1ちびっ子広場
歴史
[編集]地名の由来
[編集]沿革
[編集]- 江戸時代 - 尾張藩領清洲代官所支配の尾張国海東郡方領村として所在[1]。
- 1872年(明治5年) - 日新館分教場が設置される[1]。
- 1873年(明治6年) - 日新館分教場が通敏学校と改称される[1]。
- 1877年(明治10年) - 通敏学校が方領学校と改称される[1]。
- 1881年(明治14年) - 方領学校から新居屋学校が分離される[1]。
- 1889年(明治22年) - 春富村大字方領となる[1]。また、方領学校は石作学校と改称[1]。
- 1891年(明治24年) - 濃尾地震により多くの建物が倒壊[1]。
- 1893年(明治26年) - 石作学校は森春尋常小学校となる[1]。
- 1906年(明治39年) - 甚目寺村大字方領となる[1]。
- 1932年(昭和7年) - 甚目寺町大字方領となる[1]。
- 1943年(昭和18年) - 東部の田畑に清洲飛行場が建設される[1]。
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口および世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 6] | 77世帯 306人 |
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2000年(平成12年)[WEB 7] | 77世帯 276人 |
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2005年(平成17年)[WEB 8] | 76世帯 259人 |
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2010年(平成22年)[WEB 9] | 87世帯 275人 |
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2015年(平成27年)[WEB 10] | 163世帯 443人 |
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2020年(令和2年)[WEB 2] | 171世帯 450人 |
脚注
[編集]WEB
[編集]- ^ “愛知県あま市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2024年4月30日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2022年2月10日). “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等” (CSV). 2023年8月2日閲覧。
- ^ “読み仮名データの促音・拗音を小書きで表記するもの(zip形式) 愛知県” (zip). 日本郵便 (2024年2月29日). 2024年3月26日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧” (PDF). 総務省 (2022年3月1日). 2022年3月22日閲覧。
- ^ “ナンバープレートについて”. 一般社団法人愛知県自動車会議所. 2024年1月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。