新上五島町立魚目小学校
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新上五島町立魚目小学校 | |
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北緯32度59分57秒 東経129度05分23秒 / 北緯32.999139度 東経129.089861度座標: 北緯32度59分57秒 東経129度05分23秒 / 北緯32.999139度 東経129.089861度 | |
過去の名称 |
第五大学区第五中学区榎津小学校 公立上等榎津小学校 公立中等榎津小学校 尋常榎津小学校 榎津尋常高等小学校 魚目尋常高等小学校 魚目村国民学校 魚目村立魚目小学校 新魚目町立魚目小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 新上五島町 |
併合学校 | 似首尋常小学校 |
設立年月日 | 1874年(明治7年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002295 |
所在地 | 〒857-4512 |
長崎県南松浦郡新上五島町榎津郷401番 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
新上五島町立魚目小学校(しんかみごとうちょうりつ うおのめしょうがっこう)は長崎県南松浦郡新上五島町榎津(えのきづ)郷にある公立小学校。 略称「魚小」(うおしょう)。
概要
[編集]- 校区
- 住所表記で「長崎県南松浦郡新上五島町」のうち魚目地区(浦桑、榎津、丸尾、似首)。
- 中学校区は新上五島町立魚目中学校。
- 校章
- 波と校名にちなみ、三匹の魚の絵を組み合わせたデザインとなっている。
- 校歌
- 作詞は大欣鉄馬、作曲は島村吉門による。歌詞は2番まであり、校名は歌詞中に登場しない。榎津尋常高等小学校時代の1915年(大正4年)に制定された。制定当時、作詞者・作曲者ともに長崎県師範学校の教諭であった。
沿革
[編集]- 前身(榎津小学校)
- 1874年(明治7年)- 「第五大学区第五中学区[1]榎津小学校」が開校。
- 1875年(明治8年)5月 - 立串・小串・曽根・桑の木・丸尾の5ヶ所に分校が設置される。
- 1877年(明治10年)3月 - 教則の改正により、「上等榎津小学校」に改称。
- 上等8級・下等8級、計16級。各課程(級)の修業期間を6ヶ月、学齢を満6歳から14歳、修業年限を8年とする。
- 1878年(明治11年)4月 - 津和崎分校を設置。
- 1879年(明治12年)
- 9月 - 津和崎分校仲知分舎を設置。
- 12月 - 小串分校が分離し、小串小学校として独立。立串・曽根・津和崎分校・仲知分舎が小串小学校に移管される[2]。
- 1882年(明治15年)3月 - 「中等榎津小学校」に改称。
- 初等科3年・中等科3年・高等科2年(計8年)の課程を設置。
- 1886年(明治19年)
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、魚目村立の小学校となる。
- 1890年(明治23年)- 女児を対象に裁縫科を設置。
- 1892年(明治25年)
- 1894年(明治27年)- 児童数の増加で校舎がせまくなり、本校に加えて桑の木の胸肩神社を借用して授業を実施(桑の木分舎を設置)。
- 1896年(明治29年)- 更なる児童数の増加により、民家を借用して授業を開始。
- 1897年(明治30年)- 校庭を拡張。
- 1898年(明治31年)
- 5月 - 高等科2教室を増築。
- 10月 - 石柱の校門が完成。
- 1901年(明治34年)
- 4月 - 桑の木分舎を「浦桑分教場」に改称。
- 6月 - 尋常科に裁縫と唱歌が加えられる。
- 1905年(明治38年)
- この年 - 通信簿を制定。
- 4月 - 高等科に農業科が加えられる。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正で義務教育年限が4年から6年に延長されたため、尋常科5・6年を設置。
- 旧・高等科1年を尋常科5年、旧・高等科2年を尋常科6年、旧・高等科3年を高等科1年、旧・高等科4年を高等科2年に振り替える。
- 1914年(大正3年)
- 1915年(大正4年)- 校歌を制定。
- 1916年(大正5年)10月 - 浦桑分教場を宮ノ脇の旧・水産補習学校に移転。
- 1917年(大正6年)- 綱引きを校技に制定。
- 1918年(大正7年)- 校歌旗体操を制定。
- 1926年(大正15年)5月28日 - 浦桑分教場を焼失により廃止。
- 1928年(昭和3年)4月 - 仮校舎を設置。
- 前身(似首[3]小学校)
- 1874年(明治7年)9月 - 「似首小学校」として創立。
- 1877年(明治10年)- 「下等似首小学校」に改称。
- 1882年(明治15年)- 「初等似首小学校」に改称。初等科(修業年限3年)を設置。
- 1886年(明治19年)- 小学校令の施行により、「簡易似首小学校」に改称。
- 1888年(明治21年)10月 - 児童数の増加により校舎がせまくなったため新校舎を建築。「尋常似首小学校」に改称。修業年限を4年とする。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、魚目村立の小学校となる。
- 1890年(明治23年)4月 - 女児を対象に裁縫科を設置。
- 1892年(明治25年)9月 - 「似首尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正で義務教育年限が4年から6年に延長されたため、尋常科5・6年を設置。
- 統合・魚目小学校
- 1929年(昭和4年)4月1日 - 榎津尋常高等小学校と似首尋常小学校を統合し、「魚目尋常高等小学校」が設置される。
- 新校地が榎津郷字下宇戸401番地(現在地)に定められる。
- 新校舎が完成するまでの間、旧・榎津尋常高等小学校校舎を11学級が、旧・似首尋常小学校校舎を似首分教場とし3学級が使用。
- 1930年(昭和5年)2月 - 新校舎の建設が開始。請負人は地元(丸尾)出身の鉄川与助。
- 1931年(昭和6年)- 長崎県下の小学校としては、長崎市勝山尋常高等小学校に次ぐ(長崎県離島の小学校としては初の)鉄筋校舎が完成。
- 1933年(昭和8年)- 課外活動として剣道部を創設。
- 1935年(昭和10年)
- 6月 – 水道設備が完成。
- 9月 – 似首分教場を廃止し、児童を本校に統合。これにより本校の学級数は16となる。
- 11月 – 校旗を新調。
- 1936年(昭和11年)- 銃器庫を新設。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「魚目村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)7月 - 中学校校舎が完成。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 新魚目町の発足[4]により、「新魚目町立魚目小学校」に改称。校門のそばに池と築山が完成。
- 1965年(昭和40年)4月 - 特殊学級を設置。
- 1974年(昭和49年)10月 - 創立100周年記念式典を挙行。記念碑を建立。
- 1979年(昭和54年)3月 - 特別教室(図工室・家庭科室)が完成。
- 1980年(昭和55年)3月 - 体育館が完成。
- 1986年(昭和61年)1月 - 水洗トイレが完成。
- 2002年(平成14年)1学期 - 旧校舎を解体。
- 2004年(平成16年)
- 2月 – 新校舎が完成。郷土資料メモリアルスペースやモニュメント公園を有する。
- 8月1日 - 新上五島町の発足により、「新上五島町立魚目小学校」(現校名)に改称。
周辺
[編集]- 新上五島町立魚目中学校
- 新上五島町立魚目幼稚園
- 新上五島町役場 新魚目支所
- 新上五島町立魚目総合体育館
- 魚目郵便局
アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 西肥自動車(西肥バス)五島営業所「魚目小学校前」バス停
- 最寄りの港
- 有川港 - 佐世保港との間にフェリー・高速船が運行されている。
- 最寄りの国道・県道
- 長崎県道32号有川新魚目線
参考資料
[編集]- 「新魚目町郷土誌」(1986年(昭和61年)9月30日発行, 有川町郷土誌編集・編纂委員会)p.357-