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魚目村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
うおのめむら
魚目村
廃止日 1956年9月30日
廃止理由 新設合併
魚目村北魚目村新魚目町
現在の自治体 新上五島町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
南松浦郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,311
国勢調査、1955年)
隣接自治体 南松浦郡有川町上五島町北魚目村
魚目村役場
所在地 長崎県南松浦郡魚目村榎津郷216番地
座標 北緯32度59分48秒 東経129度05分30秒 / 北緯32.99678度 東経129.09164度 / 32.99678; 129.09164座標: 北緯32度59分48秒 東経129度05分30秒 / 北緯32.99678度 東経129.09164度 / 32.99678; 129.09164
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魚目村(うおのめむら)は、長崎県南松浦郡にあった村。五島列島のうち中通島の北東部を主な村域とした。1956年(昭和31年)に北隣[1]に位置する北魚目村と合併し町制施行。新魚目町となった。
現在は新上五島町の一部となっている。

地理

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五島列島のうち中通島の北東部と周辺島嶼部を主な村域とする。地内の有川湾は古くは魚目浦と称され、「魚目」の地名由来として、魚が群れをなして集まる様を表したと伝える[2]。また魚目江、あるいは魚の海が転じたとも云われる[2]

  • 島嶼:竹ノ子島
  • 山:番岳[3]、城山、門松山、浅子山
  • 港湾:有川湾、榎津港

沿革

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明治初期の魚目村は浦桑郷・榎津郷・似首郷・小串郷・立串郷の5郷を村域としていたが、1889年(明治22年)に地方自治体として発足するまでの間に村域変更が行われている。まず明治4年平戸藩領小値賀[4]より中通島最北端に位置する津和崎郷を編入した。その後1885年(明治18年)に当村に属する6郷のうち小串・立串・津和崎の3郷を分離し、さらに青方村より分離した曽根郷を加えた4郷を合わせて北魚目村が分立した[5]

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、南松浦郡魚目村が単独村制にて発足。
  • 1954年(昭和29年) - 榎津郷および似首郷のそれぞれ一部を分離統合し、丸尾郷を新設。
  • 1956年(昭和31年)9月25日 - 北魚目村と合併し町制施行。新魚目町が発足し、魚目村は自治体として消滅。

地名

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を行政区域とする。魚目村は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。

  • 浦桑郷
  • 榎津郷(えのきづ)
  • 似首郷(にたくび)
  • 丸尾郷 - 1954年、榎津郷・似首郷のそれぞれ一部より分立。

魚目村出身の著名人

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脚注

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  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1956年9月25日
  2. ^ a b 角川日本地名大辞典 42 長崎県「魚目」
  3. ^ 番岳は幾つか存在する。当村の番岳は丸尾郷と上五島町(旧青方町)奈摩郷を跨ぐ山。
  4. ^ 現在の北松浦郡小値賀町に相当。
  5. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「魚目村(近世)」

参考文献

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関連項目

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