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新上五島町立北魚目小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新上五島町立北魚目小学校
地図北緯33度03分26秒 東経129度05分58秒 / 北緯33.057333度 東経129.099583度 / 33.057333; 129.099583座標: 北緯33度03分26秒 東経129度05分58秒 / 北緯33.057333度 東経129.099583度 / 33.057333; 129.099583
過去の名称 第五大学区第五中学区榎津小学校小串分校
小串部公立小串小学校
中等小串小学校
尋常小串小学校
小串尋常小学校
北魚目尋常小学校
北魚目尋常高等小学校
北魚目村北魚目国民学校
北魚目村立北魚目小学校
新魚目町立北魚目小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 新上五島町
併合学校 立串尋常小学校
曽根尋常小学校
新上五島町立津和崎小学校
新上五島町立仲知小学校
設立年月日 1875年明治8年)5月
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210002302 ウィキデータを編集
所在地 857-4601
長崎県南松浦郡新上五島町小串郷1665番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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新上五島町立北魚目小学校(しんかみごとうちょうりつ きたうおのめしょうがっこう)は長崎県南松浦郡新上五島町小串郷にある公立小学校。 略称「北小」(きたしょう)。

五島列島中通島に位置している。

概要

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歴史
1875年明治8年)に「榎津小学校小串分校」として創立。2015年平成27年)に創立140周年を迎える。
校区
住所表記で「長崎県南松浦郡新上五島町」のうち新魚目地区(大浦、小串、曽根、立串、小瀬良、大瀬良、大水、江袋、赤波江、仲知、一本松、竹谷、米山、津和崎)。
中学校区は新上五島町立北魚目中学校2018年(平成30年)4月より中学校区は新上五島町立魚目中学校となる(予定)。
校章
波の絵を背景にして校名の「北小」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
1916年(大正5年)に制定。作詞は平田与七、作曲は島村吉門[1]による。歌詞は2番まであり、校名は歌詞中に登場しない。

沿革

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前身(小串小学校)
  • 1875年(明治8年)5月 - 「第五大学区第五中学区[2]榎津小学校 小串分校」が小串郷中筋に設置される。児童数は40名、六等助訓(助教諭)神崎鈴衛が教授を開始。
  • 1879年(明治12年)12月 - 小串分校が分離し、「小串部公立小串小学校」として独立。立串分校・曽根分校・津和崎分校・仲知分舎が移管される。
  • 1882年(明治15年)4月 - 中等科(3年課程)を設置し、「中等小串小学校」に改称。立串・曽根分校には初等科(3年課程)が設置される。
  • 1886年(明治19年)6月 - 小学校令の施行により、「尋常小串小学校」に改称。修業年限を4年(=義務教育年限)とする。補習科を設置。
    • 有川村の中筋に(長崎県)第十九高等小学校が設置される。
    • 立串分校と曽根分校が分離し、それぞれ簡易立串小学校、簡易曽根小学校として独立。修業年限は3年。
  • 1887年(明治20年)
    • 5月 - 津和崎分校が分離し、簡易津和崎小学校として独立。
    • 7月 - 児童数の増加により校舎がせまくなったため、民家を借用して分舎とする。
  • 1888年(明治21年)2月 - 女児を対象に裁縫科を設置。
  • 1889年(明治22年)
    • 4月 - 町村制の施行により、北魚目村立の小学校となる。
    • 7月 - 小串郷中筋に新校舎が完成。
    • 11月 - 夜学校を開設。
  • 1893年(明治26年)
    • 1月 - 「小串尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。補習科と夜学校を廃止。
    • 7月 - 補習科(夜間2年制)を設置。
  • 1896年(明治29年)4月 - 生徒貯金法を実施。
  • 1898年(明治31年)10月 - 小串郷字田渕に新校舎が完成し移転を完了。
  • 1899年(明治32年)10月 - 教授科目に体操と唱歌が加えられる。
  • 1903年(明治36年)5月 - 学校医嘱託を開始。
  • 1904年(明治37年)
    • 8月 - 暴風雨により校舎が傾倒。
    • 9月 - 危険校舎になったため、児童を立串尋常小学校へ移す。
前身(立串小学校)
  • 1875年(明治8年)5月 - 「第五大学区第五中学区榎津小学校 立串分校」が立串郷先筋に設置される。児童数は35名、六等助訓(助教諭)宮田住衛が教授を開始。
  • 1879年(明治12年)12月 - 移管により「小串部公立小串小学校 立串分校」となる。
  • 1882年(明治15年)4月 - 初等科(3年課程)を設置し「中等小串小学校 初等立串分校」に改称。
  • 1886年(明治19年)6月 - 小学校令の施行により、小串小学校より分離し「簡易立串小学校」として独立。修業年限を3年とする。
  • 1888年(明治21年)9月 - 補習科を設置。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、北魚目村立の小学校となる。
  • 1890年(明治23年)1月 - 「尋常立串小学校」に改称。修業年限を4年とする。
  • 1893年(明治26年)1月 - 「立串尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。補習科(夜間3年制)を設置。
  • 1898年(明治31年)
    • 1月 - 生徒貯金法を実施。
    • 3月 - 児童数の増加で校舎がせまくなったため、立串郷字平野に校舎建設を開始。
  • 1899年(明治32年)
    • 7月 - 新校舎が完成。
    • 10月 - 教授科目に体操・唱歌を加える。
  • 1903年(明治36年)5月 - 小串尋常小学校が前月の暴風雨で傾倒し危険校舎となったため、その児童を立串尋常小学校に収容して授業を開始。
前身(曽根小学校)
  • 1875年(明治8年)5月 - 「第五大学区第五中学区榎津小学校 曽根分校」が青方村曽根郷前田に設置される。児童数は21名、貞方杢兵衛が教授を開始。
  • 1878年(明治11年)- 曽根地区が青方村から分離し、曽根村となる。
  • 1879年(明治12年)12月 - 移管により「小串部公立小串小学校 曽根分校」となる。
  • 1882年(明治15年)4月 - 初等科(3年課程)を設置し「中等小串小学校 初等曽根分校」に改称。
  • 1886年(明治19年)6月 - 小学校令の施行により、小串小学校より分離し「簡易曽根小学校」として独立。修業年限を3年とする。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、曽根村が北魚目村に編入され、北魚目村立の小学校となる。
  • 1890年(明治23年)2月 - 児童数の増加で校舎がせまくなったため、民家を買収し校舎に改造。
  • 1893年(明治26年)1月 - 「曽根尋常小学校」に改称。修業年限を4年とする。
  • 1896年(明治29年)11月 - 児童数の増加で校舎がせまくなったため、曽根郷字前田に校舎建設を開始。
  • 1897年(明治30年)4月 - 新校舎が完成し移転を完了。
  • 1901年(明治34年)5月 - 更なる児童数の増加により校舎がせまくなったが、経費不足により暫定的に授業を午前と午後に分け、二部教授を実施。
統合・北魚目小学校
  • 1905年(明治38年)1月 - 小串・立串・曽根の尋常小学校3校が統合され、「北魚目尋常小学校」となる。1月8日に授業を開始。
    • 校長には川崎常次が就任。他職員5名。児童総数は408名で7学級編成とする。
    • 校地を北魚目字ヒラトコに設定し、校舎建設を開始。校舎が完成するまでの間、旧3校の校舎を仮校舎として使用。
  • 1906年(明治39年)
    • 5月 - 高等科を併置し、「北魚目尋常高等小学校」(尋常科4年・高等科2年)に改称。高等科に44名(男子30・女子11)が入学。
      • 授業料が無料の尋常小学校とは異なり、義務教育ではない高等小学校は授業料を徴収していた。この当時の授業料は1名当たり30銭。
      • 高等科の仮校舎を立串郷字平野の家屋に設置。
    • 6月 - 児童数の増加により、2学年で二部授業を実施。高等科の教授科目に農業科が加えられる。
  • 1907年(明治40年)
    • 2月 - 立串郷南河原に苗2,500本を植樹。
    • 5月 - 旧小串校・曽根校にあった天皇および皇后の御真影を奉還。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正で義務教育年限が4年から6年に延長されたため、尋常科5・6年を設置(尋常科6年・高等科2年)。
    • 旧・高等科1年を尋常科5年、旧・高等科2年を尋常科6年、旧・高等科3年を高等科1年、旧・高等科4年を高等科2年に振り替える。
  • 1909年(明治42年)11月 - 統合新校舎が完成。しかいわずか20日余りで暴風にあい全壊したため、仮校舎での授業を余儀なくされる。
  • 1911年(明治44年)
  • 1912年(明治45年/大正元年)9月 - 第二校舎(元・立串校の校舎)が焼失。
  • 1915年(大正4年)
    • 4月 - 校舎を増築。
    • 5月 - 併設の実業補習学校に裁縫科が設置される。
  • 1916年(大正5年)3月 - 校歌を制定。
  • 1918年(大正7年)- 小瀬良と曽根の2ヶ所に分教場を設置。
  • 1921年(大正10年)11月 - 本校校舎で4教室を増築。
  • 1927年(昭和2年)10月 - 上五島連合運動会で優勝する。
  • 1932年(昭和7年)
    • 10月 - 新校舎(8教室)が完成。
    • この年 - 保護者会が発足。
  • 1933年(昭和8年)- 曽根分教場を廃止。
  • 1935年(昭和10年)- 青年学校令の施行により、併設の北魚目実業補習学校が北魚目青年学校となる。
  • 1936年(昭和11年)- 小瀬良分教場を廃止。
  • 1937年(昭和12年)5月 - 上五島野球大会で優勝。
  • 1939年(昭和14年)
    • 5月 - 上五島相撲大会で優勝。
    • 7月 - 全五島剣道大会で優勝。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「北魚目村北魚目国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)
  • 1943年(昭和18年)9月 - 海洋少年団を結成。
  • 1944年(昭和19年)5月 - 女子挺身隊を結成。
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月 - 北魚目少年特攻隊を結成。
    • 7月 - 北魚目学徒隊を結成。
    • 8月 - 終戦。
  • 1946年(昭和21年)
    • 1月 - 御真影を返還。
    • 7月 - 奉安殿を撤去。
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
      • 国民学校の初等科が改組され「北魚目村立北魚目小学校」(修業年限6年)となる。各学年2クラスで計12学級。
      • 国民学校の高等科は青年学校の普通科と統合され、新制中学校北魚目村立北魚目中学校」(修業年限3年)となり、当面の間小学校に併設される。
    • 8月 – 全教職員が10日間の新教育講習会を受講。
  • 1948年(昭和23年)1月 - 子供銀行が開店。
  • 1950年(昭和25年)- 北魚目子供会が発足。
  • 1953年(昭和28年)6月 - 大雨でがけ崩れが発生し校舎の一部が使用不可能となる。
  • 1954年(昭和29年)- 危険校舎を解体。
  • 1955年(昭和30年)5月 - 2棟7教室の新校舎が完成。
  • 1956年(昭和31年)
    • 9月30日 - 新魚目町の発足[3]により、「新魚目町立北魚目小学校」に改称。
    • 11月 - 校旗が贈呈される。
  • 1959年(昭和34年)
  • 1961年(昭和36年)3月 - 特別教室(2教室)が完成。
  • 1974年(昭和49年)7月 - 鉄筋コンクリート造新校舎(第一期工事)が完成。3年生以上が移転を完了。
  • 1975年(昭和50年)5月 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1978年(昭和53年)3月 - へき地集会所が完成。
  • 1982年(昭和57年)1月 - へき地集会所跡に体育館が完成。
  • 1985年(昭和60年)
    • 6月 - 集中豪雨により校舎裏のがけが崩れ、校舎の一部に被害を受ける。
    • 12月 - 復旧。
  • 2004年(平成16年)8月1日 - 新上五島町の発足により、「新上五島町立北魚目小学校」(現校名)に改称。
  • 2009年(平成21年)4月1日 - 新上五島町立津和崎小学校を統合。
  • 2011年(平成23年)4月1日 - 新上五島町立仲知小学校を統合。

周辺

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アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの国道・県道

参考資料

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  • 「新魚目町郷土誌」(1986年(昭和61年)9月30日発行, 新魚目町)p.369-

関連項目

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脚注

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  1. ^ 新上五島町立魚目小学校の校歌作曲者も同じ。
  2. ^ 第一中学区は長崎区、第二中学区は旧島原藩、第三中学区は旧大村藩、第四中学区は旧平戸藩、第五中学区は旧福江藩を表す。壱岐対馬は第四中学区に属した。
  3. ^ 魚目村と北魚目村が合併した。

外部リンク

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