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戸川秋骨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
がわ しゅうこつ
ペンネーム 戸川秋骨、長帆、かげろふ他
誕生 戸川明三
1871年2月7日
日本の旗 日本 肥後国玉名郡岩崎村(現:熊本県玉名市
死没 (1939-07-09) 1939年7月9日(68歳没)
日本の旗 日本 東京
墓地 多磨霊園
職業 英文学者評論家翻訳家
慶應義塾大学教授
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 明治学院本科(現:明治学院大学
東京帝国大学英文科選科
活動期間 1893年 - 1938年
ジャンル 評論、随筆、翻訳
文学活動 文学界
代表作 『エマスン論文集』
デビュー作 『英国騒壇の女傑、ジョージイリオット』
配偶者 (由比)友
子供 三女五男
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戸川 秋骨
人物情報
生誕 1871年2月7日
日本の旗 日本肥後国玉名郡岩崎村(現:熊本県玉名市
死没 (1939-07-09) 1939年7月9日(68歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 明治学院本科(現:明治学院大学
東京帝国大学英文科選科修了
学問
研究分野 英文
研究機関 山口高等学校
明治大学
真宗大学
東京高等師範学校
早稲田大学
慶應義塾大学
明治学院
文化学院
影響を受けた人物 徳富蘇峰
脚注
日本野鳥の会発起人の一人(1934年)
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戸川 秋骨 (とがわ しゅうこつ、1871年2月7日明治3年12月18日) - 1939年昭和14年)7月9日)は、日本評論家英文学者、教育者、翻訳家、随筆家。別号は秋骨のほか、棲月・早川鴎村、早川漁郎・蒼梧桐・長帆・かげろふなど[1]

生涯

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明治3年、等照とジュンの長男として、肥後国玉名郡岩崎村(現:熊本県玉名市)に生まれた。生まれ年から、明三と名付けられた。等照は熊本藩の支藩高瀬藩の藩士で、家老の原家から養子入りしていた。1877年、一族と上京し、東京師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校)に入り、巴町の鞆絵小学校(現:港区立御成門小学校)に転じた。

世を捨てた父よりは、その実弟に躾けられ、1883年(12歳)、大阪へ伴われて大阪中学校(旧制三高の前身)に学ぶかたわら、漢訳の聖書や英語を習った。東京へ戻り、築地で高等下宿を経営していた祖母(原家)に引き取られた。1885年から獨逸学協会学校に学び、さらに、高津柏樹の夜学に、1886年から日本英学館に、1887年から成立学舎に通った。下宿人だった高橋箒庵らから、当時最新の翻訳小説を貸し与えられるなどして、内外の文学に親しんだ。

1888年(明治21年)(17歳)、従弟の大野豊太(洒竹)第一高等中学校を受験するも共に不合格となり(洒竹は後に合格)、叔母横井玉子の仲介で明治学院普通部本科2年に編入学し、島崎藤村と、のち馬場孤蝶と同級になり、1891年卒業した。既に英語は自由だった。内田周平荘子を習った。徳富蘇峰に兄事した。日本福音教会の福音神学校を手伝って自活した。

明治学院24年度卒業写真、最後列左から4番目が秋骨、左から2番目が島崎藤村

1893年(明治26年)1月に創刊された『文学界』の同人となり、3号から寄稿した。棲月、鴎水、早川漁郎などの筆名も使った。1894年夏から、文学界同人と共に、樋口一葉と付き合った。その年末から1895年中頃まで、巌本善治明治女学校の講師を勤めた。1898年1月の終刊に至る文学界の数号を、編集した。

1895年(34歳)、東京帝国大学英文科選科に入学し、ケーベル黒川真頼らの感化を受けた。1896年から翌年まで『帝国文学』の編集委員になった。1896年の一葉の葬儀を、斎藤緑雨と取り仕切った。1898年東大選科を修了し、山口高等学校の講師(翌年教授)となった。同僚の佐々醒雪に誘われて謡曲を始め、同じく西田幾多郎と交わった。気さくな人柄から、交友が広かった。

1904年、山口高等学校の学制が変わり、翌年退職し、1906年、古画商小林文七の欧米周遊の通訳として随行した。1907年明治大学の講師、真宗大学講師、1908年東京高等師範学校東京教育大学筑波大学の前身)講師となった。

1909年(明治42年)から1911年まで早稲田大学講師を勤めた。1910年慶應義塾大学部講師となり、文科と予科で英文学を担当し、1911年、教授となった[2]。同年、由比友と結婚し、のち、三女五男を得た。長女エマの名はエマーソンに、長男有悟の名はヴィクトル・ユーゴーに因んでいる。

1916年(大正5年)から1925年まで(一度中断して)明治学院に出講した。1917年、平田禿木と共訳で「エマアソン全集」(全8巻)を刊行した。

1923年から、雑誌『喜多』の編集委員になった。1925年から文化学院に出講した。

1931年(昭和6年)(62歳)、慶應義塾大学本科を辞め、以降、予科・経済学部の講師になった。1933年から、教え子たちの『秋骨会』が開かれた。『セルボーンの博物誌』の翻訳が縁で、1934年の日本野鳥の会発足の、発起人に名を連ねた。

1939年3月、慶應義塾大学と文化学院を退職した。5月以降病臥し、7月神経痛のため慶應義塾大学病院に入院し、急性腎盂炎を併発して、9日に没した。『自然院釈英明秋骨居士』、墓は多磨霊園にある[3]

1949年から、三田文学が戸川秋骨賞を主催。

主な文業

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雑誌掲載

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文学界』誌への寄稿分は、掲載稿(抄)に記載されている。

各行末のたとえば (1893.1) は、1893年1月発行の意。

  • 『女子選挙権に関する古今卓説集』(翻訳)、女学雑誌 (1893.1)
  • 『近世の思潮を論ず』(評論)、帝国文学 (1896.1)
  • 『希臘及希伯来の思想管見』(評論)、太陽 (1896.9)
  • 『恋愛に対する日本の小説と西欧の詩歌』(評論)、文芸倶楽部 (1896.11)
  • プローヴァンスの恋歌』(英文学研究)、文学界 (1897.3)
  • 『英文学と伊太利文学との関係』(英文学研究)、太陽 (1897.4)
  • 『文芸に於ける女性』(評論)、帝国文学 (1897.8)
  • 『現代の士風及び学風』(評論)、帝国文学 (1901.10)
  • 坪内博士の英文学史を読む』(英文学研究)、帝国文学 (1901.12)
  • 『静平の文学と活動の文学』(評論)、新小説 (1906.8)
  • 『斎藤緑雨』文章世界 (1906.8)
  • 高山樗牛中央公論 (1907.5)
  • 『近代文学の鳥瞰図』明星 (1907.5 - 7)
  • 『綠雨君』中央公論 (1907.10)
  • 『明治学院時代』趣味 (1907.12)
  • 『英詩文評釈』(英文学研究)、文章世界 (1908.4 - 12)
  • ヘンリー・フィールディング:『トム・ジョーンズ』(翻訳)、学鐙 (1909.4 - 1910.1)
  • 『英文学研究』英語世界 (1910.8 - 1913.5)
  • 『上田君の訃報に接して』英語青年 (1916.8)
  • 『雪の窓にて』三田文学 (1919.3)
  • 『「桜の実の熟する時」の事』三田文学 (1919.6)
  • 『鴎外先生の追憶』三田文学 (1922.8)
  • 『ケーベル先生』三田文学 (1923.8)
  • ジョン・キーツ:『セント・アグネスの逮夜』(翻訳)、英語青年 (1926.1 - 4)
  • ギルバート・ホワイト:『セルボーンの博物誌』(翻訳)、英語青年 (1932.10 - 1933.8)
  • 『四十年前の文学界』文學界 (1933.11)
  • 与謝野寛氏の追憶』行動 (1935.6)
  • 『坪内先生に関する追憶』英語青年 (1935.6)
  • 内田魯庵君』セルパン (1935.10)
  • 『半世紀に亘る交誼』(島崎藤村のこと)、文学 (1936.11)

単行本

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以下の各行の → の後は、最終と思われる重版改版。

  • 『西詞余情』(翻訳と随筆)、佐久良書房 (1907)
  • 欧米紀遊二万三千哩』(紀行)、服部書店 (1908) → ゆまに書房明治欧米見聞録集成29 (1989) ISBN 4896681894
  • 『英文学講話』(英文学研究)、東亜書院 (1908)
  • 『時代私観』(評論集)、日高有倫堂 (1908)
  • 『そのまゝの記』(随筆集)、籾山書店 (1913)
  • 『英文学精講』(英文学研究)、東亜堂書房 (1915)
  • 『文鳥』(随筆集)、圭運社 (1924)
  • 『凡人崇拝』(随筆集)、アルス (1926)
  • 『英文学覚帳』(英文学随筆集)、大岡山書店 (1926)
  • 『楽天地獄』、現代ユウモア全集刊行会 現代ユウモア全集3 (1929)
  • 『能楽礼讃』(随筆集)、大岡山書店 (1930)
  • 『自然・気まぐれ・紀行』(随筆、紀行集)、第一書房 (1931)
  • 『都会情景』(随筆集)(随筆集)、第一書房 (1933)
  • バトラー』(評論)、研究社 (1934) → 研究社 英米文学評伝叢書59 (1980)
  • 『自画像』(随筆集)、第一書房 (1935)
  • ウオルトン』(評論)、研究社 (1935) → 研究社 英米文学評伝叢書10 (1980)
  • 『能楽鑑賞』(随筆集)、謡曲界出版所 (1937)
  • 『朝食前のレセプション』(随筆集)、第一書房 (1937)
  • 『伝記文学』(評論)、岩波書店 岩波講座世界文学 第8 (1938)
没後
  • 『新日本謡曲物語』謡曲界発行所 (1940)
  • 『食後の散歩』(随筆集)、第一書房 (1941)
  • 『謡曲物語』筑摩書房 中学生全集20 (1950)

訳書

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  • スティブンソン『世捨人』英学新報社 (1903)
  • ツルゲーネフ『猟人日記』(共訳)(英訳からの重訳)、昭文社 (1909) → アルス英文叢書 (1920)
  • フレデリック・ロリエ (Frederic Auguste Loliee)『比較文学史』大日本文明協会 (1910)
  • エマーソン論文集』上下、玄黄社 (1911, 1912) → 『エマスン論文集』全3冊、岩波文庫 (1948)
  • 『幻の人』国民文庫刊行会 (1913)
  • ヴィクトル・ユウゴオ『哀史』(ああ無情)、国民文庫刊行会 泰西名著文庫 (1915 - 1916)
  • ボッカチオ十日物語』国民文庫刊行会 (1916) → 国民文庫刊行会 世界名作大観46 (1927)
  • メレジュコーフスキイ『先覚』国民文庫刊行会 泰西名著文庫 (1916) → 改版、国民文庫刊行会 世界名作大観 各国篇 附録9 (1925)
  • エマアソン全集 第1-8巻、国民文庫刊行会 (1918) の以下
    • 第4巻「社交及孤独」、第6巻「文学及社会」、第7巻「自然論・演説及講演」、第8巻「人生論」
  • 復刻 日本図書センター (1995) ISBN 4820594176, 4820594192, 4820594206, 4820594214
  • トマス・カアライル『オリヴアクロンウエル』実業之日本社 英傑伝叢書4 (1918)
  • ポー『鋸山奇談』アルス英文学叢書11 (1922) → 改版、山本書店 (1936)
  • H・G・ウェルス『文化の聖書』(相曽博と共訳)、アルス (1923)
  • ジヨン・リチヤアド・グリイン『大英国民史』上中下、国民図書 泰西名著歴史叢書6, 7, 8 (1924, 1925, 1927)
  • ヲッツ・ダントン (Theodore Watts-Dunton)『エイルヰン物語』改版、国民文庫刊行会 世界名作大観 英国篇 附録 第6巻 (1925)
  • ジヨン・リチヤアド・グリイン『無敵艦隊』アルス (1925)
  • ホオル・ケエン (Hall Caine)『永遠の都』改造社 世界大衆文学全集39 (1930)
  • 小泉八雲神国日本』(小泉八雲全集 第8巻所収)、第一書房 (1927) → 改訳版(田部隆次と共訳)、第一書房 (1942)
  • マコーレー論文集、春秋社 世界大思想全集72 (1933)
  • 『小鳥の英文學』山本書店・山本文庫 (1936)
  • マコーレイ『マコーレイ論文集』春秋社 春秋文庫 (1936) → 思想選書 (1942)
没後

文学全集ほか

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  • 『北村透谷集 : 附文学界派』講談社 日本現代文学全集9 (1965)
    • 「変調論」「活動論」「以太利盛時の文学」「自然私観」「近来の文海に於ける暗潮」「南欧詩影」「塵窓余談」
  • 『女学雑誌・文学界集』筑摩書房 明治文学全集32 (1973)
    • 「俳人の性行を想ふ」「変調論」「活動論」「罔影録」「自然私観」「気焔何処にある」「文学復興期の事を想ふ」「近年の文海に於ける暗潮」「プローヴァンスの恋歌」「塵窓余談」
  • 『明治翻訳文学全集 新聞雑誌編』川戸道昭、榊原貴教編、大空社
    • 29巻 (1999) にゾラ:『球突』。30巻 (1998) にゾラ:『大蔵大臣』。31巻 (1997) に モーパッサン:『従卒』。7巻 (1999) にステイヴンソン:『小船旅行』。
  • 『戸川秋骨人物肖像集』坪内祐三編、みすず書房 大人の本棚 (2004)
    • 「ケエベル先生」「知己先輩」「大藤村講演会の一幕」「三十余年前の学校生活」「(高津)柏樹先生」「至純狂熱の人北村透谷君」「ソクラテス」「山室大佐の追憶」「小泉先生の旧居にて」「斎藤緑雨君とチヤアルズ・ラム」「他界の大杉君に送る書」「団十郎の裸体姿」「北村透谷君と私」「与謝野寛氏の追憶」「坪内先生に関する憶出」「内田魯庵君」「漱石先生の憶出」「泡鳴君の墓石」「ユウモアの福沢先生」「杉森先生を憶ふ」「粟野先生の長逝」「岡倉先生の追悼」「女人交遊」「秋の夜の追憶(緑雨君の訪問)」

評伝

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脚注

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  1. ^ https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784820594130
  2. ^ 周作人『周作人読書雑記3』平凡社、2018年、268頁。 
  3. ^ 戸川秋骨”. www6.plala.or.jp. 2024年12月4日閲覧。

出典

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  • 松村公子『戸川秋骨年譜稿』[1]
  • 昭和女子大学近代文学研究室編『近代文学研究叢書44』昭和女子大学近代文化研究所 (1977)
  • 石丸久編『年譜』『筑摩書房 明治文学全集32』(1973) 所載

外部リンク

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