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愛宕神社 (東京都港区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
愛宕神社

一の鳥居
地図
所在地 東京都港区愛宕一丁目5番3号
位置 北緯35度39分53.2秒 東経139度44分54.4秒 / 北緯35.664778度 東経139.748444度 / 35.664778; 139.748444 (愛宕神社 (東京都港区))座標: 北緯35度39分53.2秒 東経139度44分54.4秒 / 北緯35.664778度 東経139.748444度 / 35.664778; 139.748444 (愛宕神社 (東京都港区))
主祭神 火産霊命
社格 旧村社
創建 慶長8年(1603年
例祭 9月22日 - 24日
地図
愛宕神社の位置(東京都区部内)
愛宕神社
愛宕神社
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丹塗りの門と社殿
参道の「出世の石段」
『江戸図屏風』に描かれている愛宕神社(右上)
国貞二代広重『江戸自慢三十六興 愛宕山毘沙門ノ使』
三代歌川広重『東京名所図会 愛宕山見晴らしの図』

愛宕神社(あたごじんじゃ)は、東京都港区愛宕一丁目にある神社である[1]山手線内では珍しい自然に形成されたである愛宕山標高25.7m)山頂にあり、東京都区部の天然の山としては一番の高さ。京都愛宕神社総本社である。

防火・防災に霊験のある神社として知られる。

祭神

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2017年平成29年)時点、天神社の名は境内掲示板の由緒には書かれているが、公式サイトには書かれていない。この天神社は江戸二十五天神で愛宕下長者弁天同所・愛宕下長者弁天町などと呼ばれるものと云われる。

歴史・勝軍地蔵菩薩

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勝軍地蔵菩薩

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1603年慶長8年)、徳川家康の命により創建[1]。また、徳川家康が信仰した勝軍地蔵菩薩を勧請し、愛宕神社を創建。同神社の本地仏として別当寺の円福寺に祀ったことに始まる。明治維新時の廃仏毀釈により円福寺が廃寺になると、勝軍地蔵菩薩像は近くの真福寺に移されたが、関東大震災で焼失。1934年の弘法大師1100年御遠忌記念として製で復元され、現在は、1997年に建設された真福寺・愛宕東洋ビル一階外側に祀られている。

「寛永三馬術」曲垣平九郎(まがき・へいくろう)の故事

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寛永11年、江戸幕府第三代征夷大将軍徳川家光芝増上寺に参詣した帰り道、愛宕神社の下を通った。愛宕山には源平(紅白[3])のが満開に咲いており、それを見た家光が「馬に乗ってあの梅を取って参れ!」と命じた。しかし、愛宕山の石段はとても急勾配であり、馬で石段を上って梅を取ってくることなど、とてもできそうになかった。そのため、近習の家臣たちは誰一人動こうとしなかった。

そんな中、四国丸亀藩士の曲垣(曲木)平九郎が馬に乗って石段を上り降りし、見事、山上の梅を手折って家光に献上した。家光は、泰平の世にあって馬術の稽古を怠らない平九郎の姿勢を称賛し「日本一の馬術の名人」と讃えた。そして、平九郎の名は一日にして全国にとどろいたと伝えられている。

この故事にちなみ、愛宕神社正面の坂(男坂)は「出世の石段」と呼ばれている[4]。現在の男坂は86段あり約40度と急で知られ、脇には勾配が緩やかな女坂もある[3]。曲垣(曲木)平九郎は講談『寛永三馬術』で後世まで有名となったが、生没年など生涯は未詳で、同じ四国の高松藩士とする文献もある[3]

境内末社

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太郎坊社
福寿稲荷社(福寿稲荷神社[2]
弁財天社
大黒天社(大黒天神祠[2]・恵比寿神祠[2]

主な祭事

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  • 千日詣り(6月23日夜~24日早朝) - この両日に社殿前にしつらえた茅の輪をくぐり参詣すれば千日分の御利益があるとされた。別名「茅の輪くぐり」。同時に催されるほおずき市はこの地が元祖。
  • 例大祭(9月22日24日) - 別名「出世の石段祭」。2年に1度、神輿が男坂(出世の石段)を行き来する。

氏子地域

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以下の氏子地域はいずれも港区内。

新橋五丁目1~6・20~25・34~36、六丁目1~3・14~18
西新橋二丁目16~19・32~35、三丁目
愛宕一丁目~二丁目

その他

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アクセス

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地下鉄 ・東京メトロ日比谷線神谷町駅」より徒歩5分 ・東京メトロ日比谷線「虎ノ門ヒルズ駅」より徒歩5分 ・東京メトロ銀座線虎ノ門駅」より徒歩8分 ・都営地下鉄三田線御成門駅」より徒歩8分 JR 「新橋駅」より徒歩20分

関連項目

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出典

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  1. ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典13 東京都』(角川書店、1978年)1004頁
  2. ^ a b c d 境内掲示板。
  3. ^ a b c d 読売新聞』よみほっと(日曜別刷り)2021年9月5日1-2面【ニッポン絵ものがたり】月岡芳年「東錦浮世稿談 曲木平九郎」急角度 一歩ずつでも前へ
  4. ^ 愛宕神社トリビア 其の二”. 愛宕神社. 2020年4月7日閲覧。
  5. ^ 「さい銭も電子マネーで=定番の5円硬貨、近年減少」時事通信(2017年1月4日)2017年1月5日閲覧

外部リンク

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