惟宗忠康
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時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 治承3年(1179年)? |
官位 | 正七位上、右衛門尉 |
氏族 | 惟宗朝臣 |
父母 | 惟宗忠友、母:素性不詳 |
妻 | 素性不詳 |
子 | 惟宗忠久(島津忠久)?、惟宗忠季(津々見忠季)? |
惟宗 忠康(これむね の ただやす)は、平安時代後期の摂関家(藤原北家)に仕えた京侍。秦氏の一族。父は忠友(八文字民部太夫)、子に忠広(上総前司)、忠久(豊後守)、忠季(兵衛尉)。橋口右衛門尉。
島津氏の祖である忠久の父とする説があり、忠久の母の丹後局が忠康の一族の惟宗広言の妻になった縁により、忠久・忠季も広言の養子となったものとする説がある。
系図
[編集]具瞻(従五位下陰陽頭)― 正邦(従五位下陰陽頭)― 考親(従五位下能登守)― 考言(従四位下伊賀守掃部介)― 忠方(紀中納言若狭守)― 友国(宗大納言従二位兵庫太夫)― 国広(筑前守)― 忠友(八文字民部太夫)― 忠康(橋口右衛門尉)― 忠久(豊後守)
- 具瞻以前は未詳。〔醍醐天皇後裔説〕
友国=知国(号宗大納言九郎・三條院御子也)、忠友(本ハ友重,平家御代之時島津院地頭職)、忠康(号島津右衛門尉)、忠久(島津判官得佛使太夫輔)。