悲田院町
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悲田院町 | |
---|---|
天王寺駅 中央改札口付近 | |
北緯34度38分52.08秒 東経135度30分54.23秒 / 北緯34.6478000度 東経135.5150639度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 大阪府 |
市町村 | 大阪市 |
区 | 天王寺区 |
面積 | |
• 合計 | 0.085242343 km2 |
人口 | |
• 合計 | 1,252人 |
• 密度 | 15,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
543-0055[3] |
市外局番 | 06(大阪MA)[4] |
ナンバープレート | なにわ |
悲田院町(ひでんいんちょう)は、大阪府大阪市天王寺区にある町名。丁番を持たない単独町名である。
地理
[編集]天王寺区の南部に位置し、東は南河堀町、南西は茶臼山町、北と西は堀越町、北東部は北河堀町、南は阿倍野区阿倍野筋と接している。
町域は玉造筋を挟んで南北に分かれており、南側にはJRの天王寺駅が所在している。玉造筋沿いは駅前の通りとして飲食店などで賑わう一方で、北側には個人住宅やマンションなども多く存在する。
歴史
[編集]町名の由来は、仏教の慈悲の思想に基づき貧しい人や孤児を救うために作られた悲田院から。
その歴史は古く、飛鳥時代に聖徳太子が隋に倣い、同区に所在する四天王寺に四箇院の一つとして悲田院を建てたことに由来する(四箇院とは悲田院に敬田院・施薬院・療病院を合せたものである)。
世帯数と人口
[編集]2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
悲田院町 | 637世帯 | 1,252人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 354人 | [5] | |
2000年(平成12年) | 339人 | [6] | |
2005年(平成17年) | 424人 | [7] | |
2010年(平成22年) | 454人 | [8] | |
2015年(平成27年) | 413人 | [9] |
世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 256世帯 | [5] | |
2000年(平成12年) | 211世帯 | [6] | |
2005年(平成17年) | 302世帯 | [7] | |
2010年(平成22年) | 284世帯 | [8] | |
2015年(平成27年) | 272世帯 | [9] |
事業所
[編集]2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[10]。
町丁 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
悲田院町 | 460事業所 | 6,949人 |
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]施設
[編集]その他
[編集]日本郵便
[編集]脚注
[編集]- ^ “大阪府大阪市天王寺区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年10月20日閲覧。
- ^ a b “住民基本台帳人口・外国人人口”. 大阪市 (2019年7月26日). 2019年10月4日閲覧。
- ^ a b “悲田院町の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ “平成28年経済センサス-活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。