恩賀徳之助
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恩賀徳之助 おんが とくのすけ | |
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生年月日 | 1877年1月21日 |
出生地 |
日本 和歌山県那賀郡粉河村 (現・和歌山県紀の川市) |
没年月日 | 1963年1月16日(85歳没) |
出身校 |
東京法学院中退 (現・中央大学) 大阪桃山学校 |
前職 | 呉服太物商 |
所属政党 | 立憲民政党 |
選挙区 | 北海道第3選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1935年 - 1936年1月21日 |
北海道会議員 | |
在任期間 |
? - ? 1922年11月7日 - 1923年6月4日 1924年11月21日 - 1926年10月30日 |
恩賀 徳之助(おんが とくのすけ、1877年(明治10年)1月21日[1] - 1963年(昭和38年)1月16日[2])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]和歌山県那賀郡粉河村で、恩賀定一郎の二男として生まれる[1][3]。大阪桃山学校を経て東京法学院で学んだが、二年で中退し、帰郷して家業の綿ネル製造業に従事[1][3]。
1904年8月、北海道函館に移り末広町で呉服太物商を営む[1][3]。以後、函館商業会議所議員、同常議員、函館呉服太物卸商組合長、函館区会議員、同議長、函館市会議員、同初代・第3代議長(1922年11月7日から1923年6月4日、1924年11月21日から1926年10月30日[4])、北海道会議員などを歴任[2]。
1932年2月、第18回衆議院議員総選挙で北海道第三区から出馬し当選した林儀作が1935年1月に死去し[5]、同年7月の補欠選挙に出馬して当選し[6]、衆議院議員を一期務めた[2]。
その他、函館地方裁判所金銭債務調停委員、同商事調停委員、函館市復興委員、(財) 函館共愛会理事、北海道都市計画地方委員、立憲民政党函館支部長などを務めた[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 深井清蔵編『函館名士録』函館名士録発行所、1936年。
- 金子信尚編『北海道人名辞書』第二版、北海民論社、1923年。