コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

恩賀徳之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
恩賀徳之助
おんが とくのすけ
生年月日 1877年1月21日
出生地 日本の旗 日本 和歌山県那賀郡粉河村
(現・和歌山県紀の川市
没年月日 (1963-01-16) 1963年1月16日(85歳没)
出身校 東京法学院中退
(現・中央大学
大阪桃山学校
前職 呉服太物商
所属政党 立憲民政党

選挙区 北海道第3選挙区
当選回数 1回
在任期間 1935年 - 1936年1月21日


函館区会議長
初代・第3代 函館市会議長
在任期間 ? - ?
1922年11月7日 - 1923年6月4日
1924年11月21日 - 1926年10月30日

函館区会議員
函館市会議員
テンプレートを表示

恩賀 徳之助(おんが とくのすけ、1877年明治10年)1月21日[1] - 1963年昭和38年)1月16日[2])は、日本の実業家政治家衆議院議員

経歴

[編集]

和歌山県那賀郡粉河村で、恩賀定一郎の二男として生まれる[1][3]。大阪桃山学校を経て東京法学院で学んだが、二年で中退し、帰郷して家業の綿ネル製造業に従事[1][3]

1904年8月、北海道函館に移り末広町で呉服太物商を営む[1][3]。以後、函館商業会議所議員、同常議員、函館呉服太物卸商組合長、函館区会議員、同議長、函館市会議員、同初代・第3代議長(1922年11月7日から1923年6月4日1924年11月21日から1926年10月30日[4])、北海道会議員などを歴任[2]

1932年2月、第18回衆議院議員総選挙で北海道第三区から出馬し当選した林儀作1935年1月に死去し[5]、同年7月の補欠選挙に出馬して当選し[6]、衆議院議員を一期務めた[2]

その他、函館地方裁判所金銭債務調停委員、同商事調停委員、函館市復興委員、(財) 函館共愛会理事、北海道都市計画地方委員、立憲民政党函館支部長などを務めた[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 『函館名士録』61-62頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』157頁。
  3. ^ a b c 『北海道人名辞書』第二版、263頁。
  4. ^ 歴代市議会 議長・副議長”. 函館市. 2023年12月6日閲覧。
  5. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』526頁。
  6. ^ 『官報』第2560号、昭和10年7月16日。

参考文献

[編集]
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 深井清蔵編『函館名士録』函館名士録発行所、1936年。
  • 金子信尚編『北海道人名辞書』第二版、北海民論社、1923年。