林儀作
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林 儀作(はやし ぎさく、1883年(明治16年)2月19日[1] - 1935年(昭和10年)1月20日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。号は濁川。
経歴
[編集]新潟県雑太郡相川町(現在の佐渡市)出身[3]。佐渡鉱山学校卒業後、佐渡毎日新聞に勤務。同郷の長谷川世民(本名:長谷川淑夫、長谷川海太郎・潾二郎・濬・四郎兄弟の父)に誘われて函館に渡り、北海新聞に入るが、筆禍事件により禁固刑を受ける。出獄後は平出喜三郎が経営する函館新聞で編集長を務め、後に函館日日新聞理事・主筆となった[1]。その他、東洋印刷会社社長、財団法人函館共働宿泊所理事長、函館東部職業紹介所所長を歴任した[1]。
函館市会議員、北海道会議員、同参事会員を経て、1932年の第18回衆議院議員総選挙に出馬して当選を果たした。
函館随一の博識者と謳われ、反対派議員も傾聴させる演説の名人だった[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 政友会総覧編纂所『政友会総覧』政友会総覧発行所、1933年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版(下)』人事興信所、1934年。