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林儀作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
林儀作

林 儀作(はやし ぎさく、1883年明治16年)2月19日[1] - 1935年昭和10年)1月20日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会)、ジャーナリスト。号は濁川

経歴

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新潟県雑太郡相川町(現在の佐渡市)出身[3]。佐渡鉱山学校卒業後、佐渡毎日新聞に勤務。同郷の長谷川世民(本名:長谷川淑夫、長谷川海太郎潾二郎四郎兄弟の父)に誘われて函館に渡り、北海新聞に入るが、筆禍事件により禁固刑を受ける。出獄後は平出喜三郎が経営する函館新聞で編集長を務め、後に函館日日新聞理事・主筆となった[1]。その他、東洋印刷会社社長、財団法人函館共働宿泊所理事長、函館東部職業紹介所所長を歴任した[1]

函館市会議員北海道会議員、同参事会員を経て、1932年第18回衆議院議員総選挙に出馬して当選を果たした。

函館随一の博識者と謳われ、反対派議員も傾聴させる演説の名人だった[4]

脚注

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  1. ^ a b c 『人事興信録』
  2. ^ 『官報』第2414号、昭和10年1月22日。
  3. ^ 『政友会総覧』
  4. ^ 林 儀作〜函館ゆかりの人物伝 - 函館市文化・スポーツ振興財団”. www.zaidan-hakodate.com. 2020年9月16日閲覧。

参考文献

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  • 政友会総覧編纂所『政友会総覧』政友会総覧発行所、1933年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版(下)』人事興信所、1934年。