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坂下 (板橋区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
志村坂下から転送)
日本 > 東京都 > 板橋区 > 坂下
坂下
町丁
城北交通公園
地図北緯35度47分02秒 東経139度40分59秒 / 北緯35.783822度 東経139.683042度 / 35.783822; 139.683042
日本の旗 日本
都道府県 東京都の旗 東京
特別区 板橋区
地域 志村地域
人口情報2024年(令和6年)3月31日現在[1]
 人口 19,914 人
 世帯数 10,846 世帯
面積[2]
  0.949360846 km²
人口密度 20976.22 人/km²
郵便番号 174-0043[3]
市外局番 03(東京MA[4]
ナンバープレート 板橋
ウィキポータル 日本の町・字
東京都の旗 ウィキポータル 東京都
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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坂下(さかした)は、東京都板橋区町名[5][6]。現行行政地名は坂下一丁目から三丁目。全域で住居表示が実施されている。

地理

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板橋区の北部に位置する。北端で新河岸川に接する。北で新河岸川を隔てて舟渡、西で蓮根、南西で相生町、南で志村、東で東坂下と隣接する。町域の東端を国道17号中山道)が通じている。南北に長い町域を持ち、南から順に一丁目、志村坂下通りを境界として二丁目、高島通りを境界として三丁目となっている。

江戸時代から明治時代にかけては現在の東坂下とともに、清水坂から戸田の渡しに至る街道筋の小集落が点在する地域であった。1923年関東大震災後より化学・薬品系の工場が相次いで創設され、太平洋戦争中はほとんどが軍需工場となった。現在でも北部の三丁目地域には化学系の企業・工場が多く立地している。コビト撤退後はマンションの建設が進められている。南部の一丁目・二丁目地域は主に住宅地で、学校公園公営住宅も多く見られる。

地形

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荒川低地沖積層からなり、全域がほぼ平坦である。

河川

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地価

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住宅地の地価は、2024年令和6年)1月1日公示地価によれば、坂下1-30-21の地点で40万7000円/m2、坂下3-25-2の地点で39万2000円/m2となっている[7]

歴史

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廃藩置県実施前は武蔵国豊島郡蓮沼村(後に分村により本蓮沼村もとはすぬまむら)および根葉村ねっぱむらの一部[6]。一帯は中山道の清水坂から戸田の渡しに至る街道筋に小集落が点在していたほかは、志村の原・下の原と呼ばれるの生い茂る低湿地の原野だった[6]。志村の原は蓮沼村と根葉村の入会地であり、将軍御鷹場とされた[6]

沿革

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  • 1602年慶長7年):徳川家康の命により、中山道が整備される。
  • 17世紀前半ごろ:荒川洪水の被害を受けた氷川神社および南蔵院が、現在の坂下二丁目地域から高台(現在の蓮沼町)に移転する。
    • 従来は1724年(享保9年)に起きた荒川水害による移転とされてきたが、正保年間(1644年1648年)に作られた絵図には蓮沼村や南蔵院が現在の場所に記されていることから、遅くとも17世紀半ばまでには高台移転が行われたものと考えられる[8]
  • 1717年享保2年):徳川吉宗将軍による鷹狩再開の命により、当地を含む志村の原・徳丸ヶ原地域が「戸田筋」に指定される。
  • 1718年(享保3年):徳川吉宗が戸田筋で鷹狩を行う。
  • 1862年文久2年):蓮沼村が上蓮沼村と本蓮沼村に分村し、当地域は本蓮沼村となる。以下、上蓮沼村・根葉村地域の地名変遷については蓮根を参照。
  • 1871年明治4年)11月:浦和県(現埼玉県)から東京府に編入。大区小区制実施。
  • 1878年(明治11年):郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡本蓮沼村および根葉村となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日:市制町村制施行により志村と合併、東京府北豊島郡志村大字本蓮沼および大字根葉となる。字名として長後町、前沼、後沼、小袋、大谷町、峡下など。
  • 1900年(明治33年):志村内での大字合併により、大字上蓮沼と大字根葉が大字蓮根となる。
  • 1921年大正10年):荒川流域改修工事の一環として、従来、現在の埼玉県和光市新倉で荒川に合流していた新河岸川を、現在の東京都北区志茂岩淵水門での合流につけかえるため、現在の坂下・東坂下地域を通過する流路開削工事が始まる。
  • 1923年(大正12年):王子(王志とも)乗合自動車商会(後に中山道乗合自動車を経て、戦後国際興業バスに統合)が、王子駅 - 志村戸田橋間の路線バス事業を開始。現在の町域に、二軒家、三軒家、蓮根(現在の蓮根町域ではなく、後の都電志村線志村橋電停付近と考えられる)の各停留所が設置される。
  • 1925年(大正14年):1923年9月1日に発生した関東大震災後の帝都復興計画に伴い、東京都市計画区域内における市街地建築物法による住居・商業・工業地域の指定変更が行われる。北豊島郡志村全域が工業地域内甲種特別地区に指定され、化学薬品工場・危険物取扱工場の設立が可能になる。[9][10]
  • 1932年昭和7年)10月1日:東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区志村長後町となる(1943年8月1日 東京都制施行)。
  • 1933年(昭和8年):中山道拡幅・新道(国道17号)建設工事が行われる。新河岸川開削工事が完成する。
  • 1945年(昭和20年)3月:大日本インキ製造株式会社(現・DIC株式会社)本店が東京市本所区から志村蓮根町(現在の坂下三丁目)に移転。後に東京工場が設置される。
  • 1947年(昭和22年):志村長後町が一丁目・二丁目に分かれ、東京都板橋区長後一丁目および二丁目となる。
  • 1955年(昭和30年)6月10日:都電志村線志村坂上 - 志村橋間開通。志村坂下、長後町一丁目、長後町二丁目、志村橋の各電停が設置され、新設の41系統が巣鴨車庫前まで運転される。[11]
  • 1956年(昭和31年):(旧)蓮根三丁目(現在の坂下三丁目)に東京渡辺製菓株式会社(後の株式会社コビト)創業。
  • 1964年(昭和39年)10月7日:第18回オリンピック東京大会の聖火が戸田橋から東京都入りし、長後一丁目・二丁目の中山道を走る。長後二丁目には走者中継点が設置された。
  • 1966年(昭和41年)5月1日:住居表示が施行される。長後一丁目・二丁目の中山道以西および(旧)蓮根一丁目~三丁目の地下鉄建設予定地以東、(旧)志村町三丁目・四丁目の一部地域が坂下一丁目~三丁目に再編される。[12]
  • 1966年(昭和41年)5月28日:都電志村線廃止(最終運行日)。
  • 1968年(昭和43年)12月27日:都営地下鉄6号線開通、志村三丁目駅および蓮根駅開業。
  • 1969年(昭和44年)8月:城北交通公園開園。
  • 1980年(昭和55年):コビトが撤退する。
  • 1982年(昭和57年):芝浦工業大学高等学校が坂下二丁目に移転、中学校を併設する。
  • 2017年(平成29年):芝浦工業大学高等学校が江東区豊洲に転出。

地名の由来

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清水坂(別名・志村坂・隠岐坂・地蔵坂)の下にあることから名づけられた[6]。旧名の「志村長後町」は、北豊島郡志村大字本蓮沼の字名のひとつから採られた。

世帯数と人口

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2024年(令和6年)3月31日現在(板橋区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
坂下一丁目 3,396世帯 5,713人
坂下二丁目 3,387世帯 6,522人
坂下三丁目 4,063世帯 7,679人
10,846世帯 19,914人

人口の変遷

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国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[13]
16,208
2000年(平成12年)[14]
16,620
2005年(平成17年)[15]
17,475
2010年(平成22年)[16]
18,319
2015年(平成27年)[17]
19,249
2020年(令和2年)[18]
19,884

世帯数の変遷

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国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[13]
6,572
2000年(平成12年)[14]
7,206
2005年(平成17年)[15]
7,729
2010年(平成22年)[16]
8,605
2015年(平成27年)[17]
9,109
2020年(令和2年)[18]
10,074

学区

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区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)[19]

丁目 番地 小学校 中学校
坂下一丁目 4~22番 板橋区立志村坂下小学校 板橋区立志村第四中学校
1~3番
23~26番
28番
板橋区立志村第五中学校
34~41番 板橋区立志村第三中学校
27番
29~33番
板橋区立志村第六小学校 板橋区立志村第五中学校
坂下二丁目 1番
2~33番 板橋区立志村第三中学校
坂下三丁目 1~5番
22番
板橋区立志村第五中学校
6番
9〜10番
板橋区立蓮根小学校 板橋区立志村第三中学校
7〜8番
11~21番
23~37番
板橋区立志村第五中学校

事業所

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2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[20]

丁目 事業所数 従業員数
坂下一丁目 176事業所 2,658人
坂下二丁目 159事業所 1,918人
坂下三丁目 165事業所 1,859人
500事業所 6,435人

事業者数の変遷

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経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[21]
520
2021年(令和3年)[20]
500

従業員数の変遷

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経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[21]
7,125
2021年(令和3年)[20]
6,435

交通

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鉄道

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町域に駅は存在しないが、以下の路線が利用可能である。

バス

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  • 国際興業バス ※出入庫に伴う区間運転系統は特記しているものを除き省略。
    • 蓮根一丁目:赤02 志村坂下経由赤羽駅西口行き・成増駅北口行き、池20 池袋駅西口行き・高島平操車場行き
    • 相生橋:赤02 志村坂下経由赤羽駅西口行き・成増駅北口行き
    • 志村四中:赤02 志村坂下経由赤羽駅西口行き・成増駅北口行き、東練02 東武練馬駅行き・志村三丁目駅行き、赤01 赤羽駅西口行き・平和台駅経由練馬駅行き
    • 大谷橋・坂下二丁目:池20 池袋駅西口行き・高島平操車場行き
    • 志村三丁目駅(旧称・志村車庫):池20 池袋駅西口行き・高島平操車場行き、赤01 赤羽駅西口行き・平和台駅経由練馬駅行き、東練02(始発) 東武練馬駅行き、赤02 志村坂下経由赤羽駅西口行き・成増駅北口行き
      • 志村坂上経由赤羽駅西口行きの始発便(赤56-2系統)も運転されている。この系統の赤羽駅方面からの入庫便は中台三丁目行き赤56-3系統で、当停留所は経由しない。
    • 東坂下二丁目・三軒家・二軒家・志村橋:池21 池袋駅西口行き・舟渡町経由高島平駅行き。
      • 志村橋はかつて都電志村線の終着で、都電史上最北の停留所であった。また、三軒家停留所近くにはかつて東京都交通局志村自動車営業所があり、都電志村線廃止から地下鉄6号線開通までの期間を中心に、志村車庫発東大赤門前経由東京駅北口行きなど多くの路線の運行を担当していたが、1982年に廃止された。現在、板橋区内を走行する都営バスは、環七通りを経由する王78系統(新宿駅西口 - 高円寺陸橋 - 南常盤台 - 王子駅)のみである。

道路

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橋梁

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  • 蓮根橋
  • 志村橋

施設

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史跡

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徳川吉宗が築いた4.5m高の鷹狩物見塚(現在は、削平され1mほど)
  • 御成塚(栄螺山さざえやま)― 1719年、徳川吉宗が、鷹狩りの際に指図をするために螺旋状の坂をつけた築山を設けた。

その他

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日本郵便

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関連項目

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脚注

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  1. ^ a b 令和6年 町丁目別年齢別人口表” (CSV). 板橋区 (2024年4月2日). 2024年4月29日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ 『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2023年11月17日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b 坂下の郵便番号”. 日本郵便. 2023年11月17日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年再版、P795
  6. ^ a b c d e 『いたばしの地名』板橋区教育委員会、1995年、P189-190
  7. ^ 国土交通省 不動産情報ライブラリ”. 国土交通省. 2024年4月27日閲覧。
  8. ^ 板橋区教育委員会が2011年に南蔵院に建てた説明文による。
  9. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション「帝都復興事業誌 公園篇・建築篇」(復興事務局 編 1931年)P.63(コマ番号44)
  10. ^ 板橋区ホームページ「板橋区の工業の歴史(1)」
  11. ^ 「日本鉄道旅行地図帳 5号 東京」(新潮社・2008年)41頁
  12. ^ 板橋区ホームページ「住居表示実施証明書」
  13. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  14. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  15. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  16. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  17. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  18. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  19. ^ 板橋区立小中学校 住所別通学区域校一覧” (PDF). 板橋区 (2021年7月30日). 2023年11月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)
  20. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  21. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  22. ^ 郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。

外部リンク

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