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彦根高等商業学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
彦根経済専門学校から転送)
彦根高等商業学校
(彦根高商)
創立 1922年
所在地 滋賀県犬上郡彦根町
(現・彦根市
設立委員長 安居喜造
初代校長 中村健一郎
廃止 1951年
後身校 滋賀大学(経済学部)
同窓会 陵水会
旧彦根高商講堂 / 現・滋賀大学経済学部講堂、国登録有形文化財、2020年改修。奥に滋賀大学本部管理棟が見える。本講堂において、1937年5月7日午後1時40分よりヘレン・ケラーによる記念講演会が開催された[1][2]

彦根高等商業学校(ひこねこうとうしょうぎょうがっこう)は、1922年大正11年)10月に設立された旧制専門学校。全国9番目の官立高等商業学校。通称は彦根高商

概要

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  • 全国9番目の官立高等商業学校として発足し、本科の他、別科・東亜科を設置した。彦根藩主であった井伊直弼武家教養と広く社会一般の利益を追求した近江商人の精神にあやかって、「士魂商才」を建学の精神として掲げた[3]
  • 第二次世界大戦中に彦根経済専門学校彦根経専)と改称され、同時に彦根工業専門学校彦根工専)に改組転換、戦後経専に再転換した。
  • 現在の滋賀大学経済学部の前身である。
  • 卒業生により同窓会「陵水会」が組織されている。
滋賀大学陵水会館(旧彦根高商同窓会館)。2008年12月撮影。

沿革

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  • 1912年滋賀県高等商業学校の設置を政府に要望(近江商人を生んだ場所であることを背景)[4]
  • 1917年滋賀県議会高商設立の請願を政府へ建議[5]
  • 1919年原内閣高等教育充拡計画を推進。滋賀県に第9高等商業学校設置、設置条件として寄附金を要求。大津八幡彦根の誘致合戦へ[4]
  • 1919年1月:犬上郡議会議長・渡辺九一郎が県知事・森正隆を訪問、全国に高等学校を増設するとの文部大臣中橋徳五郎の案をもとに滋賀県にも高商が配置されたことを知り、帰町後、犬上郡選出県会議員・安居喜造らと諮って、直ちに彦根町会議員・有力者の会合を開催。異論者出ず[5]
  • 1919年1月15日:のちに設置運動のため東上不在中に無理矢理に彦根町長に選挙され、在任中は彦根高商設置のために奔走、翌年に彦根高商新築の着工を見て辞任したことで、「高商町長」の愛称でよばれることになる県議・安居喜造が委員長に、有力者等約50名が委員に選出される。委員7名が、応援を求めて、犬上郡出身の在阪有力者、阿部房次郎弘世助太郎伊藤忠兵衛野瀬七郎平北川与平らを歴訪[5]
  • 1919年2月6日:安居委員長、渡辺県議、知事らは東上、中橋文相を訪問陳情。県庁所在地は彦根ではないと、けんもほろろ。大津側も猛運動を展開[5]
  • 1919年2月9日:中橋文相から知事を経て、高商は彦根に内定の通知[5]
  • 1919年2月11日:同年1月に「大津市への設置内定」を報じる一方で、「寄付金集めでは彦根が楽観」と、大津と彦根の誘致合戦を伝えていた京都日出新聞は、2月11日付の夕刊で「彦根に設置と文部大臣が決定した」と報じた[6]
  • 1920年3月1日文部省(現在の文部科学省)から設立を決めた通知が届く[6]
  • 1922年10月:設立(勅令第 441 号「高商を彦根に設置する」[4])。本科設置(修業年限3年)。
  • 1923年4月:開校。第1回入学式。
  • 1923年9月:調査課設置。
  • 1924年:講堂が完成する[6]
  • 1925年:研究団体「商業及経済研究会」発足(現「経済学会」)。
    • 『商業及び研究会パンフレット』刊行、ついで『彦根高商論叢』と改題(現『彦根論叢』)。
  • 1925年:中国・朝鮮半島方面への修学旅行始まる(-1941年)。
  • 1926年:別科設置(修業年限1年)。
  • 1926年:調査課を廃し研究部設置(1930年11月:調査課に改編)。
    • 部課内に近江商人研究会(1928年)・移植民研究室(1930年)・海外事情研究会(1931年)・商工研究会(1932年)・繊維業研究室(1935年)・東亜研究室(1939年6月)を設置。
  • 1928年:「近江商人史料展覧会」開催。
  • 1935年:調査課に近江商人研究室設置。
    • 近江商人関係古文書・庶民史料が収集され戦後の附属史料館(1950年8月設置)へ継承。
  • 1937年:5月7日、ヘレン・ケラーの記念講演会開催[1]
  • 1939年4月:本科第2部として支那科設置。
    • 東亜に関する知識と東洋人の新しい発展方向に関する判断力を養うことを目的とした。
  • 1939年12月:東亜会館(研究所)完成。
    • 研究部を置き調査課以来の収集資料を所蔵。
    • 1949年9月には滋賀大学経済研究所と改称(現・経済経営研究所)。
  • 1941年4月:支那科を東亜科と改称(修業年限3年)。
  • 1944年4月:彦根経済専門学校と改称し、同時に工業専門学校に転換。
    • 機械科・化学科・建築科が設置。
  • 1946年4月:経専に再転換。
  • 1947年11月:彦根工専は滋賀県に移管。
  • 1949年5月:新制滋賀大学に包括され、滋賀大学彦根経済専門学校となる。この年の入学者は、滋賀大学経済学部の所属となる。
  • 1951年3月:旧制彦根経専廃止。

歴代校長

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  • 初代:中村健一郎(1922年12月 - 1927年8月)
  • 第2代:矢野貫城(1927年8月 - 1939年8月)
  • 第3代:田中保平(1939年8月 - 1942年7月)
  • 第4代:田岡嘉寿彦(1942年7月 - 1945年11月)
    • 1944年4月、校名改称・工専転換、彦根経専と彦根工専の併置となり校長は両校を兼任した[7]
    • 山口経専校長に転任[8]

彦根工業専門学校・彦根経済専門学校


※『陵水三十五年』陵水三十五年編纂会、1958年、pp.217-224「教職員異動表」

校地の変遷と継承

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著名な教員

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著名な出身者

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創立に関わった人物

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(出典[10][11]

関連書籍

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  • 滋賀大学史編集委員会 『滋賀大学史』 滋賀大学創立40周年記念事業実行委員会、1989年

関連事項

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他の高等商業学校については高等商業学校#主要な高等商業学校を参照。

脚注

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  1. ^ a b レファレンス協同データベース 2023年3月閲覧
  2. ^ ヘレン ケラーが訪れた場所|DADA Journal 2023年3月閲覧
  3. ^ 筒井正夫, 藤栄剛, 柴田淳郎, 亀井大樹「士魂商才の精神と士魂商才館 第1部 近代日本資本主義の精神としての士魂商才(筒井正夫) 第2部 士魂商才館と収蔵資料(筒井正夫・藤栄剛・柴田淳郎・亀井大樹)」『彦根論叢』第398巻、滋賀大学経済学会、2013年12月、12-49頁、CRID 1050282677716747264hdl:10441/12388ISSN 0387-5989 
  4. ^ a b c 陵水会懇話会 来る100年と次の100年に向けて-彦根高商の日々を知る― その始まりをめぐって 今井綾乃 2019.08.23 2022年4月閲覧
  5. ^ a b c d e f 彦根論叢2004年351号, p. 162-163
  6. ^ a b c ニュース 滋賀大の前身「彦根高商」歴史展 2022年4月閲覧
  7. ^ 『陵水三十五年』p.82、235
  8. ^ 『官報』第5660号、1945年(昭和20年)11月22日、p.171、「叙任及辞令」
  9. ^ 『官報』第5664号、1945年(昭和20年)11月28日、p.212、「叙任及辞令」に彦根工業専門学校長兼彦根経済専門学校長と有り
  10. ^ 滋賀大学経済学会"彦根高等商業学校創立寄付金芳名録(大正八年)"「〈資料紹介〉滋賀大学経済経営研究所調査資料室報(11)」『彦根論叢』第355巻、滋賀大学経済学会、150頁、2005年。hdl:10441/757ISSN 0387-5989NAID 120005590324https://hdl.handle.net/10441/757 
  11. ^ 昭和5年時の平塚分四郎・彦根町長や彦根高等商業学校の矢野貫城校長らの座談会記事紹介、「寄付多く彦根へ誘致」の記述も|滋賀彦根新聞 2017年11月22日水曜日 2022年4月閲覧

参考文献

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外部リンク

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座標: 北緯35度16分36.63秒 東経136度14分49.71秒 / 北緯35.2768417度 東経136.2471417度 / 35.2768417; 136.2471417