青木外志夫
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生誕 |
1921年1月8日 日本・滋賀県犬上郡彦根町 |
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死没 | 2006年9月6日(85歳没) |
研究分野 | 経済地理学、経済政策 |
他の指導教員 | 佐藤弘 |
他の指導学生 | 寺西俊一[1] |
影響を 与えた人物 | 水岡不二雄 |
青木 外志夫(あおき としお、1921年1月8日 - 2006年9月6日 )は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。元経済地理学会会長。
来歴・人物
[編集]滋賀県犬上郡彦根町(現・彦根市)生まれ。旧制・滋賀県立彦根中学校(現・滋賀県立彦根東高等学校)を経て、1941年に旧制・彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)を卒業。同年、旧制・東京商科大学(現・一橋大学)に進学するも、1943年12月、学徒出陣により歩兵第一五一連隊に応召。1944年に半年繰上げで卒業となる。1945年9月に歩兵第四四三連隊より復員し、1949年東京商科大学研究科に特別研究生として入学。1954年に同研究科(5年課程)を修了後、一橋大学経済学部助手、専任講師、助教授を経て、1965年に教授昇任。この間、福島大学経済学部等でも教鞭を執る。1971年からは経済学部長・大学院経済学研究科長を務めた。1984年に同大学を退官。同年、一橋大学名誉教授の称号を受ける。退官後は東京国際大学の教授に就任。2006年9月、肺癌により東京都杉並区の病院にて死去[2]。享年85。
学外においても、通商産業省工業立地適正化調査員、日本学術会議経済学研究連絡委員、日本経済学会連合評議員、経済審議会臨時委員、経済地理学会会長、日本立地センター顧問等を歴任した。
青木ゼミ出身者に杉山博孝(三菱地所会長)[3]、寺西俊一(一橋大学名誉教授)[1]らがいる。
年譜
[編集]- 1921年 - 滋賀県犬上郡彦根町にて出生
- 1938年 - 滋賀県立彦根中学校卒業
- 1941年 - 彦根高等商業学校卒業
- 1943年 - 学徒動員
- 1944年 - 東京商科大学卒業(半年繰上げ)
- 1945年 - 復員
- 1949年 - 東京商科大学研究科入学(特別研究生)
- 1954年 - 東京商科大学研究科修了
- 1954年 - 一橋大学経済学部助手
- 1956年 - 一橋大学経済学部専任講師
- 1961年 - 一橋大学経済学部助教授
- 1965年 - 一橋大学経済学部教授
- 1971年 - 一橋大学経済学部長・大学院経済学研究科長
- 1984年 - 一橋大学名誉教授
- 1995年 - 勲三等旭日中綬章受章[4]
- 2006年 - 肺癌により死去
著書
[編集]共編著
[編集]訳書
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 「環境保全の思想・理論・政策の探求は続く : 本特集のまとめに代えて」一橋経済学
- ^ 青木外志夫氏死去 一橋大名誉教授
- ^ 杉山 博孝(すぎやま・ひろたか)一橋大学
- ^ 「95年秋の叙勲 勲三等」『読売新聞』1995年11月3日朝刊