座光寺久男
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座光寺 久男(ざこうじ ひさお、1907年(明治40年)1月1日[1][2] - 1978年(昭和53年)[3])は、昭和期の地方公務員、政治家。長野県駒ヶ根市長。
来歴
[編集]長野県下伊那郡上飯田村[3](現飯田市[3])で、座光寺和作、ゆき の二男として生まれた[1]。上飯田高等小学校卒業後[1][2][3]、飯田の松濤義塾に学ぶ[1][3]。1924年(大正13年)4月、上飯田町役場に入り[2]、1933年(昭和8年)長野県庁に転じ長野県書記となり[1][3]、学務部社会課勤務、飯田職業紹介所勤務、長野県職業課勤務、知事官房秘書課勤務、下伊那地方事務所兵事厚生課長、同総務課長を歴任した[1][2][3]。1947年(昭和22年)6月、飯田市助役に就任し[1][2][3]、1956年(昭和31年)6月、駒ヶ根市助役に転じた[1][2][3]。
1968年(同43年)1月、駒ヶ根市長選挙で当選し[1][2][3]、1976年(昭和51年)1月まで2期務めた[2][3]。助役時代から工場の誘致や昭和伊南総合病院の経営確立、福祉施設「西駒郷」や青年海外協力隊訓練所の建設、駒ヶ岳の観光拠点の整備などに尽力した[3]。他に、伊那谷開発同盟会会長、日本赤十字社長野県支部評議員などを務めた[1]。
著作
[編集]- 『病と共に市造り二十年』座光寺久男著書刊行会、1979年。
- みやじま しげる編『座光寺久男遺稿集』座光寺久男遺稿集刊行会、1980年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『長野県人名鑑』信濃毎日新聞社、1974年。
- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。