平岸駅 (北海道赤平市)
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(平岸駅 (JR北海道)から転送)
平岸駅 | |
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駅舎(2006年11月) | |
ひらぎし Hiragishi | |
◄T24 茂尻 (3.5 km) (5.9 km) 芦別 T26► | |
所在地 | 北海道赤平市平岸仲町1丁目 |
駅番号 | ○T25 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■根室本線 |
キロ程 | 20.7 km(滝川起点) |
電報略号 | ヒキ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
28人/日 -2014年- |
開業年月日 | 1913年(大正2年)11月10日[1] |
備考 | 無人駅 |
平岸駅(ひらぎしえき)は、北海道赤平市平岸仲町1丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の駅である。駅番号はT25。電報略号はヒキ。事務管理コードは▲130404[2]。
歴史
[編集]- 1913年(大正2年)11月10日:国有鉄道の駅として開業[1]。一般駅[1]。
- 1922年(大正11年)12月1日:空知川対岸の豊田炭礦から駅裏滝川側に設けた原動所へ索道設置。積込み線敷設。
- 1930年(昭和5年):空知川対岸の大谷炭礦(後の大谷沢炭礦)から駅裏滝川側に設けた原動所へ索道設置。積込み線敷設。
- 1943年(昭和18年)
- 5月:「中小炭鉱整備令」により豊田炭礦及び大谷沢炭礦閉山。
- 10月:駅裏西側に軍需工場の北海道炭素工業及び日本油化工業の工場建設始まる。豊田炭礦及び大谷沢炭礦の積込み線を工場専用線として転用。
- 1950年(昭和25年)3月:北海道炭素及び日本油化、工場解散。
- 1952年(昭和27年)1月12日:三菱鉱業系の北菱産業平岸炭礦開坑。駅裏に選炭場及び積込み設備を設置。
- 1963年(昭和38年)3月25日:北菱平岸炭礦閉山。
- 1976年(昭和51年)2月1日:貨物取扱い廃止[1]。
- 1982年(昭和57年)5月30日:荷物取扱い廃止[3]。同時に駅員無配置駅となる[4]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]アイヌ語の「ピラケㇱ(pira-kes)」(崖・の末端)に由来する[5][6][7]。
駅構造
[編集]根室方面に向かって左側の駅舎に面した下り線の単式ホームと、上下線間に設置された上り線用の単式ホームの2面2線を有する地上駅。上下ホームはずれて設置され、跨線橋で結ばれている[8]。
無人駅である。
のりば
[編集]番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■根室本線 | 下り | 富良野・東鹿越方面 |
2 | 上り | 滝川方面 |
-
ホーム(2017年8月)
-
跨線橋(2017年8月)
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1992年(平成 | 4年)(8.0) | [8] | 1日平均乗降客数16人 | ||
2016年(平成28年) | 15.2 | [JR北 1] | |||
2017年(平成29年) | 12.4 | [JR北 2] | |||
2018年(平成30年) | 12.2 | [JR北 3] | |||
2019年(令和元年) | 11.0 | [JR北 4] | |||
2020年(令和 | 2年)10.6 | [JR北 5] | |||
2021年(令和 | 3年)9.8 | [JR北 6] | |||
2022年(令和 | 4年)9.0 | [JR北 7] | |||
2023年(令和 | 5年)7.2 | [JR北 8] |
駅周辺
[編集]隣の駅
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、874頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、232頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ “日本国有鉄道公示第45号”. 官報. (1982年5月28日)
- ^ “「通報」●根室本線東滝川駅ほか6駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 4. (1982年5月28日)
- ^ 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、57頁。NDLJP:1029473。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、117頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ a b 宮脇俊三、原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、108頁。ISBN 4-09-395401-1。
- ^ “平岸 のりば地図”. 北海道中央バス. 2019年6月4日閲覧。
- ^ 病院沿革によると、病院設立の起源は、1953年(昭和28年)8月に一旦閉鎖された「日本油化工業(株)平岸診療所」。([出典 : 博友会のあゆみ - 社会医療法人博友会)。
JR北海道
[編集]- ^ “駅別乗車人員(2016)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道株式会社. p. 2 (2017年12月8日). 2018年8月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月17日閲覧。
- ^ 「根室線(滝川・富良野間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために)』、北海道旅客鉄道株式会社、3頁、2018年7月2日。オリジナルの2018年8月18日時点におけるアーカイブ 。2018年8月18日閲覧。
- ^ “根室線(滝川・富良野間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “根室線(滝川・富良野間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月4日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道 (2024年). 2024年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月9日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 平岸|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company