工藤外三郎
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工藤 外三郎(くどう とさぶろう、1872年4月21日(明治5年3月14日[1][2]) - 1932年(昭和7年)12月28日[2])は、明治から昭和時代初期の内科学者。京都府立医学専門学校校長。
経歴
[編集]京都出身[2]。紀重孝の三男として生まれ、のち工藤則勝の養子となり、1903年(明治36年)3月、分家して一家を創立する[1]。1898年(明治31年)東京帝国大学医科大学を卒業し[1]、岐阜県立病院内科医長、京都市立日吉病院長などを経て、1906年(明治39年)から2年間ドイツに留学する[2]。のち京都府立医学専門学校教諭を経て[1]、1914年(大正3年)同校長に就任した[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。