工藤則勝
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工藤 則勝(くどう のりかつ、1847年6月29日(弘化4年5月17日[1]) - 1916年(大正5年)1月11日[2])は、明治時代の司法官。大審院検事。
経歴
[編集]工藤勇蔵の長男として陸奥弘前(現青森県弘前市)に生まれる[1]。弘前藩藩校稽古館で学ぶ[2]。1871年(明治4年)司法省に奉職し検事となり、1878年(明治11年)判事に転じる[1]。1880年(明治13年)岩手重罪裁判長兼控訴院評定官となり、1889年(明治22年)宇都宮予審裁判所長、1892年(明治25年)東京地方裁判所検事正、1898年(明治31年)函館控訴院検事長を経て[1]、1903年(明治36年)大審院検事に進んだ[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。