コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

岡田三郎助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡田 三郎助
(おかだ さぶろうすけ)
明治39年
生誕 (1869-02-22) 1869年2月22日
肥前国佐賀(現在の佐賀市八幡小路
死没 1939年9月23日(1939-09-23)(70歳没)
墓地 青山霊園
国籍 日本の旗 日本
著名な実績 洋画
代表作 「矢調べ」(1893)、「婦人像(某婦人の肖像)」(1907)、「支那絹の前」(1920)、「あやめの衣」(1927)、「裸婦」(1935年)
テンプレートを表示
岡田三郎助

岡田 三郎助(おかだ さぶろうすけ、旧姓:石尾1869年2月22日明治2年1月12日[1] - 1939年昭和14年)9月23日[2])は、明治から昭和にかけて活躍した日本洋画家版画家である。女性像を得意とし、日本的な感覚の洋画に秀作を残し、現存する作品のほぼ半分を風景画が占める[3]。第1回文化勲章を受章[4]東京美術学校(現・東京藝術大学)教授[1][5][6]。現在の佐賀県佐賀市八幡小路生まれ[7]。族籍は東京府平民[1][5][6]

経歴

[編集]

1869年肥前佐賀藩の石尾家に生まれる。士族・石尾孝基の三男[1][5][6]。幼名は芳三郎。1887年、岡田政蔵の養子になり、家督を相続する[8]二松学舍成立学舎東洋英和学校等に学ぶ[8][9]

洋画家・曽山幸彦の画塾に入門、曽山の逝去後は堀江正章に学んだ。1892年、洋風絵画専修のため大幸館に入学し、堀江正章の指導を受ける。1893年、大幸館規定の科目を卒業。卒業制作は『矢調べ』[10]

1894年久米桂一郎の紹介で黒田清輝を知る。1896年、久米桂一郎、黒田清輝とともに白馬会の創立に参画する。1897年、第1回の文部省留学生としてフランスに留学し、ラファエル・コランに師事する。1902年、帰国し、東京美術学校の教授に任ぜられる[6]

1906年、小山内八千代と結婚。1907年東京勧業博覧会出品の『婦人像(某婦人の肖像)』が1等賞を受ける。文展の審査員に選ばれる。1912年藤島武二本郷洋画研究所を設立[11][12]1913年、久米桂一郎等と共に佐賀美術協会を設立[13]1919年高村豊周長原孝太郎藤井達吉らと装飾美術家協会の結成[14]に加わる。帝国美術院[17]会員となる[20]

1926年(大正15年)、妻・八千代と別居。1930年(昭和5年)、文部省より欧州出張を命じられ渡欧、11月帰国[注釈 1]1933年の花の咲きみだれる北信濃の地を訪れ、その地を「丹霞郷」(たんかきょう)と名づける。1934年(昭和9年)12月3日、帝室技芸員[21]。翌年、帝展第二部会に『裸婦』を賛助出品した[22]

1936年(昭和11年)、聖徳記念絵画館に納める『大阪行幸諸藩軍艦御覧』に着手。制作に当たりアトリエが手狭になることから南部利英邸の離れを借り受けた。制作は難航し、完成日は聖徳記念絵画館の完成式前日、同年4月20日となり、精神的にも体力的にも消耗を強いられた作品となった[23]。 同年12月、感冒がもとで肺炎を併発して入院した。1937年(昭和12年)4月、この年に創設された第1回文化勲章受賞の一報を病床で受けることとなった[4]また同年6月24日付で、帝国芸術院会員となる[要出典]

1939年(昭和34年)9月23日、自宅で死去。岡田三郎助遺作展覧会は1940年(昭和15年)に東京府美術館(2月14日-20日[注釈 2][25])や大阪市天王寺美術館で開催された(同年3月1日–同月5日[注釈 3][26]。中央公論社画廊は1951年4月半ばに「岡田三郎助遺作小品展」を開いた[24]

2016年には生前の岡田三郎助と八千代夫妻、辻永(つじ ひさし)の姿を収めた16ミリフィルムをもとに、山崎欽毅監督らがドキュメンタリー映画『あるアトリエの100年』を製作した[27]

人物

[編集]

性格は外柔内剛、温厚篤実な紳士であり、頑固なところもあるが温和で友人や門弟から慕われた[28]。美男であり、荒っぽい風体の洋画家が多かった当時において、白足袋に和服を端麗に着こなし生徒を驚かせた[28]。左耳は難聴だった[28]。住居は東京府豊多摩郡渋谷町下渋谷[1][5]であり(現・渋谷区恵比寿[29])、別棟のアトリエは佐賀県に移築された。佐賀県に2018年(平成30年)に移築された建物は「岡田三郎助アトリエ」として国の登録有形文化財になっている[30]

時代衣装など染色工芸品のコレクターであり[31]、著書に『#工芸美術及室内装飾』がある。収集したきものをモデルに着せて筆をふるい『あやめの衣』[32]をはじめ数々の名作を残した[要出典]1934年昭和9年)に愛蔵の衣装など約900点を永久保存の約束で松坂屋に一括売却[33]遠山記念館は「岡田三郎助画伯遺愛染織品展」を主催した(1977年10月–11月[24])。

工芸品に注目して朝鮮半島の陶磁器[34]、郷土人形[35]まで目を配る。1930年の外遊から帰国後、ヨーロッパから持ち帰った工芸品を「岡田三郎助氏蒐集美術工芸品展覧会」として展覧した[注釈 1]

三郎助と八千代の岡田夫妻。パリ訪問。
岡田三郎助と八千代夫人(パリ)

栄典

[編集]

家族・親族

[編集]
岡田家
親戚

主な作品

[編集]
『矢調べ』1893年
『あやめの衣』1927年(ポーラ美術館
1982年の切手
『水辺の裸婦』1935年(ひろしま美術館

印は、佐賀県重要文化財。

油彩
日本画、フレスコ
  • 『深緑』1929年、岩絵具・絹(佐賀県立美術館蔵)[43]
  • 『坐婦』1929年、フレスコ・カンヴァス(佐賀県立美術館蔵)[43]
  • 『フローレンス風景』1930年(水性絵具・絹・板、佐賀県立美術館蔵)[43]
パステル・素描
  • 『積藁』1895年、水彩、ペン、紙(岐阜県美術館[47]
  • 『教会』1899年、ペン・紙(佐賀県立美術館)[43]
  • 『婦人半身像下絵』1936年、パステル・紙(佐賀県立美術館)[43]
版画
  • 『船のある風景』 1902年、エッチング・紙(佐賀県立美術館)[43]
彫刻
  • 『女』制作年不詳、ブロンズ(佐賀県立美術館)[43]
工芸品
  • 革細工作品(岡田三郎助制作)制作年不詳、皮革(佐賀県立美術館)[43]
  • 鍛金作品(岡田三郎助制作)制作年不詳、金属(佐賀県立美術館)[43]

主な著作

[編集]
工芸

工芸品の価値を評価し、織物の名品「時代裂」(じだいぎれ)について監修を担当。同名のミニシリーズを座右宝刊行会より出版した[48]。『工芸美術及室内装飾』では、工芸からインテリアまでまとめた。

  • 『時代裂』第1-6輯、合本、1932年。
  • 『時代裂』第7-12輯、合本、1932-1933年。
  • 『時代裂』第13-16輯、合本、1933-1934年。
  • 『時代裂: 解説』第1-16輯、合本、1932-1933年。全国書誌番号:21347506:*『時代裂拾遺』第1-12輯、合本、1934-1936年。
  • 『時代裂拾遺 : 解説』第1-5、7-12輯、合本、1934-1936年。全国書誌番号:21347189
  • 岡田三郎助『工芸美術及室内装飾』書画骨董叢書刊行会〈書画骨董叢書 ; 第10巻〉、大正11年。doi:10.11501/965825、NDLデジタルコレクション、インターネット公開。以下に掲載内容を抜粋して紹介。
  • 「第5編 織物工」
    • 「§第1章 織物の概説」175頁 (コマ番号0135.jp2)
    • 「§第2章 日本古代の織物」177頁 (コマ番号0136.jp2)
    • 「§第3章 推古孝徳時代」181頁 (コマ番号0138.jp2)
    • 「§第4章 奈良時代の織物」184頁 (コマ番号0140.jp2)
    • 「§第5章 平安朝の織物」187頁 (コマ番号0141.jp2)
    • 「§第6章 鎌倉室町時代の織物」188頁 (コマ番号0142.jp2)
    • 「§第7章 桃山時代の織物」191頁 (コマ番号0143.jp2)
    • 「§第8章 徳川初期の織物」197頁 (コマ番号0146.jp2)
    • 「§第9章 西陣織物の消長」200頁 (コマ番号0148.jp2)
    • 「§第10章 徳川末期の織物」203頁 (コマ番号0149.jp2)
    • 「§第11章 織物界の悲境」209頁 (コマ番号0152.jp2)
  • 「第6編 現代の工芸美術界」
    • 「§第4章 有数な工芸美術家」220頁- (コマ番号0158.jp2)
    • 「§第5章 大正八年度の工芸美術界(上)」222頁- (コマ番号0159.jp2)
    • 「§第6章 大正八年度の工芸美術界(下)」226頁- (コマ番号0161.jp2)
  • 岡田三郎助「序」大隅為三 編『古代外邦陶器図譜』洪洋社、大正15年、(コマ番号0007.jp2)。10p、写真100枚 ; 30cm、doi:10.11501/1020146、マイクロ / オンライン。
テキスト、教科書
  • 小林鐘吉『水彩画一斑』岡田三郎助 校、中西屋、明治36年10月、doi:10.11501/850968、マイクロフィルム、NDLデジタルコレクション、インターネット公開。
  • 岡田三郎助、太田三郎 『学校家庭略画の描き方』中文館書店、大正9年、doi:10.11501/960153、マイクロフィルム、NDLデジタルコレクション、インターネット公開。
  • 岡田三郎助、丹羽礼介『学校家庭クレヨン画集とその描き方』中文館書店、大正12年。doi:10.11501/970454、マイクロ / オンライン。
  • 岡田三郎助、丹羽礼介 共著『学校家庭教育略画集と其描き方』中文館書店、大正15年。doi:10.11501/1020017、マイクロフィルム、オンライン。NDLデジタルコレクション、インターネット公開。
  • 岡田三郎助、丹羽礼介 共著『学校家庭図画描き方の基本と其の画集』中文館書店、1928年(昭和3年)、doi:10.11501/1120722、マイクロフィルム、NDLデジタルコレクション、インターネット公開。
  • 『岡田三郎助画伯傑作集』第1輯、尚美堂、1934年(昭和9年)。図版6枚 ; 38cm。doi:10.11501/1015766、マイクロフィルム、オンライン。

その他

参考文献

[編集]

本文の脚注に使用。発行年順。

  • 人事興信所、国立国会図書館デジタルコレクション(編)「を(お)之部」『人事興信録』、人事興信所、大正7年(1918年)、2022年5月22日閲覧 
  • 人事興信所、国立国会図書館デジタルコレクション(編)「を(お)之部」『人事興信録』、人事興信所、大正10年(1921年)。 
  • 人事興信所、国立国会図書館デジタルコレクション(編)「を(お)之部」『人事興信録』、人事興信所、大正14年(1925年)、167-168頁、2022年5月2日閲覧 
  • 鏑木清方 ら 編「1 支那絹の前(原色版) 岡田三郞助」『洋画篇 下巻』新潮社〈現代作家美人画全集〉、1932年(昭和7年)、(11コマ目)頁。doi:10.11501/1258751全国書誌番号:46086517 
  • 辻 永 編『岡田三郎助作品集』美術書院、1946年(昭和21年)、(コマ番号0037.jp2)頁。 
    • 「6 高橋夫人像」(21コマ目)
    • 「11 鐘供養 (原色版) 」(29コマ目)
    • 「52 あみもの」(103コマ目)
    • 「63 海辺裸婦 (原色版) 」(123コマ目)
    • 「73 紅衣の女 (原色版) 」(143コマ目)

関連資料

[編集]
  • 東京文化財研究所 文化財情報資料部 編『美術研究 [The journal of art studies = Plates P1.II (in colour) OKADA Saburosuke, Girl and a Rose. Oil on canvas.]』364号、東京 : 国立文化財機構東京文化財研究所、1996年3月、305 (4コマ目)頁。doi:10.11501/7964467全国書誌番号:00020142。「明治34年(原色刷) 「図版2 岡田三郎助筆『薔薇の少女』」石橋財団石橋美術館蔵」 

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ a b 会場は京橋の共楽美術倶楽部、1931年1月24日。裂地ほかガラス器、小刀、マルバル紙等およそ1千点[24]。会場と会期の一覧表付き。
  2. ^ 「準備委員に中村研一、太田三郎、大隅為三、辻水[24]」が名前を連ねる。展示内容は油彩、岩絵具の作品445点に加えて素描や水彩画、エッチングほか80点前後と、レリーフや工芸品[24]
  3. ^ 東京展の出展作のうち関西の収蔵品を中心に、 同田家所蔵品の一部を展覧、合計100点余り[24]
  4. ^ 三越呉服店(現・三越)のポスターにも使われた。同店の重役・高橋義雄夫人をモデルにしたといわれている[要出典]
  5. ^ モデルは妻・八千代。
  6. ^ :切手の意匠に採用された(1970年春「切手趣味週間[32]
  7. ^ 1945年(昭和20年)以降、一時は行方が分からず、2012年に公開[22]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第5版』を163頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月2日閲覧。
  2. ^ 「彙報 官庁事項 官吏薨去」『官報』第3820号、昭和14年9月27日、p.972
  3. ^ Vol.23 岡田三郎助―風景画の視線―」『OKADA-ROOM』、佐賀県立博物館・佐賀県立美術館、2023年1月12日閲覧 
  4. ^ a b 昭和ニュース事典編纂委員会 編「本編 §長岡半太郎、幸田露伴ら九人受賞『東京日日新聞』(昭和12年4月17日)」『昭和ニュース事典』 第7巻(昭和14年-昭和16年)、毎日コミュニケーションズ、1994年、654頁。 
  5. ^ a b c d e f 『人事興信録 第6版』を140頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月2日閲覧。
  6. ^ a b c d 『人事興信録 第7版』を167 - 168頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月2日閲覧。
  7. ^ OKADA-ROOM 佐賀県立博物館・佐賀県立美術館 2024年1月2日閲覧。
  8. ^ a b 人事興信所 1918, 『人事興信録』5版
  9. ^ 人事興信所 1925, pp. 167–168, 『人事興信録』7版
  10. ^ a b 『岡田三郎助作品集』 1946, pp. (コマ番号0037.jp2), 「3 矢調べ」明治26年、3尺5寸2尺4寸、東京、石尾佐與氏藏。
  11. ^ 「本郷洋画研究所岡田氏独力で経営」『関東大震災期(10月)』 下巻0、大正12年度版、明治大正昭和新聞研究会〈新聞集成大正編年史〉、1985年8月、716頁。doi:10.11501/12230929 
  12. ^ 荻野光風「本郷洋画研究所」『誰にも出来る水彩スケッチの描き方』、富文館書店、東京、1928年(昭和3)、169頁 (コマ番号0104.jp2)、doi:10.11501/1134960 国立国会図書館内限定、図書館・個人送信対象、遠隔複写可。
  13. ^ 福岡博 編「204 佐賀美術協会創立の頃の画家たち」『写真集明治大正昭和佐賀 : ふるさとの想い出95』東京 : 国書刊行会、1979年12月、126頁。doi:10.11501/9773163全国書誌番号:80011967 
  14. ^ 「裝飾美術家教会設立」『早稲田文学』[第2期]第167号・大正8年10月号、早稲田文学社、1919年10月1日、161 (コマ番号0180.jp2)。 
  15. ^ 早稲田文学社 1919, pp. 159-160 (コマ番号0179.jp2), 「帝国美術院の設立及規定」
  16. ^ 早稲田文学社 1919, pp. 160-161頁 (コマ番号0180.jp2), 「任命された帝国美術院展覧会審査員」
  17. ^ 『早稲田文学』[第2期] 第167号・大正8年10月号[15][16]
  18. ^ 早稲田文学社 1919, p. 160頁 (コマ番号0180.jp2), 「帝国美術院の会員」
  19. ^ 早稲田文学社 1919, p. 161頁 (コマ番号0180.jp2)」, 「二科会授賞者と美術院の新同人」
  20. ^ 『早稲田文学』[第2期] 第167号・大正8年10月号[18][19]
  21. ^ 『官報』第2378号、昭和9年12月4日。
  22. ^ a b 岡田三郎助―まぼろしの名画”. 博物館 展示案内. 展示案内 展覧会. 佐賀県立博物館・佐賀県立美術館. 2023年1月12日閲覧。 “2012年7月13日(金曜日)~ 2012年9月2日(日曜日)。昭和10 (1935) 年10月、帝展の若手、中堅洋画家たちによる第二部会展 (会場東京府美術館) に賛助出品(中略)旧李王家美術館で展示されましたが、昭和20 (1945) 年以降、作品のゆくえは杳として知れず(中略)同じ昭和時代の作《あやめの衣》(ポーラ美術館蔵)や《婦人半身像》(東京国立近代美術館蔵) と並ぶ(後略)。”
  23. ^ 岡田三郎助苦心の力作「観艦式」完成『大阪毎日新聞』昭和11年4月21日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p707 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  24. ^ a b c d e f 松本誠一(企画普及係長)「岡田三郎助の展覧会歴(展覧会案内 補説)」『館報』(PDF)103号、佐賀県立博物館・美術館、1993年10月1日、2-3,頁https://saga-museum.jp/museum/files/kanpo103.pdf 
  25. ^ 柴田光彦 編「岡田三郎助遺作展覧会 (昭和15年2月14-20日)」『反町茂雄収集古書蒐集品展覧会・貴重蔵書目録集成』 4巻、東京 : ゆまに書房〈書誌書目シリーズ ; 58〉、2001年12月。「千代田区立千代田図書館蔵の複製」 
  26. ^ 岡田 三郎助, 1869-1939『岡田三郎助作品図録』便利堂、1940年。doi:10.11501/1684355 
  27. ^ ドキュメンタリー映画「あるアトリエの100年」公式サイト”. atelier.i-brains.jp. 2020年7月23日閲覧。
  28. ^ a b c 大井健地「支那絹の前にたつ岡田八千代 : 近代日本のある男性画家と女性小説家の夫婦別居をめぐって : 作品をとおして」(pdf)『藝術研究号』第1号、広島芸術学研究会、1988年7月23日、2019年7月7日閲覧 
  29. ^ 岡田三郎助アトリエ”. saga-museum.jp. 佐賀県立博物館・佐賀県立美術館. 2023年1月12日閲覧。
  30. ^ 景観まちあるきMAP 佐賀市、2024年12月3日閲覧。
  31. ^ 小山 弓弦葉(研究代表者、国立文化財機構東京国立博物館)「近現代における古日本染織の移動とコレクション形成に関する基礎的研究(研究課題/領域番号:22682001、若手研究(A) 補助金)」『科学研究費助成事業』。 
  32. ^ a b 近代美術シリーズ第13集 岡田三郎助「あやめの衣」: 日本切手”. www.yushu.co.jp. 切手・趣味の通信販売 スタマガネット. 株式会社郵趣サービス社. 2023年1月11日閲覧。1970年4月20日発行。切手趣味週間切手、額面60円。
  33. ^ #松坂屋ヒストリア小話ベストセレクション その42”. www.matsuzakaya.co.jp. 松坂屋資料室「企画展 Vol.48」. 松坂屋史料室. 2021年12月28日閲覧。
  34. ^ 洪善杓 著、稲葉真以、米津篤八 訳「西洋画家の誕生 / 西洋画壇の膨張(岡田三郎助(1869-1939))」(jpn, ko(原文))『韓国近代美術史 : 甲午改革から1950年代まで』東京大学出版会、2019年9月、93, 173頁。ISBN 978-4-13-086056-7 
  35. ^ 岡田三郎助 著、日本人形玩具学会 編『日本人形玩具大辞典』東京堂出版、2019年、277頁。 
  36. ^ 『官報』第3819号「叙任及辞令」1939年9月26日。
  37. ^ a b c d Vol.19 或る洋画家の横顔 ―写真と映像資料からみる岡田三郎助―」『OKADA-ROOM』、佐賀県立博物館・佐賀県立美術館、2023年1月12日閲覧。「2020年12月12日(土曜日)~ 2021年3月 7日(日曜日)」 
  38. ^ 岡田三郎助の花物語―万花描く辻永とともに―(2019年3月16日(土曜日)~ 2019年5月 6日(月曜日))”. 展示案内 > 展覧会. 佐賀県立博物館・佐賀県立美術館. 2023年1月12日閲覧。
  39. ^ 『美術研究』 1946, pp. 305 (4コマ目)
  40. ^ Bush Clover (英語), ミシガン大学ディアボーン校. College of Arts, Sciences, and Letters(芸術科学文学部), 1908年, OCLC 680347730
  41. ^ 『美術研究』 1946, p. (コマ番号0116.jp2), 「82『支那絹の前』大正9年、4尺3尺、東京 岡田家藏」
  42. ^ 鏑木 ほか 1932
  43. ^ a b c d e f g h i j k vol.22 画人・岡田三郎助―その表現と技法―」『OKADA-ROOM』、佐賀県立博物館・佐賀県立美術館、2023年1月12日閲覧 
  44. ^ あやめの衣”. ポーラ美術館. コレクション. 2022年5月2日閲覧。
  45. ^ 「楊柳――(コロタイプ版) 岡田三郞助」『美術』第13巻第2号、美術発行所、1938年2月、(コマ番号0008.jp2)、doi:10.11501/1579166 国立国会図書館デジタルコレクション、館内限定公開、図書館・個人送信対象、遠隔複写可。
  46. ^ ̺『岡田三郎助作品集』 1946, p. (コマ番号0125.jp2), 「91 丹霞郷 昭和8年」1尺7寸5分2尺1寸5分、東京、三國庄二郞氏藏。
  47. ^ II 時代と画家 山本芳翠(明治美術会通常会員『小宴紀念』)」『明治150年展(2018/5/18[金] -7/8[日])』(PDF)岐阜県美術館https://kenbi.pref.gifu.lg.jp/images/36_1.pdf2023年1月12日閲覧 
  48. ^ 和田三造 評 著「時代裂の刊行・岡田三郞助著 」、新聞集成大正昭和編年史刊行会 編 7巻、新聞集成大正昭和編年史刊行会〈新聞集成昭和編年史 第5-8巻(昭和5-8年度版)〉、1958年-1961年、301頁。全国書誌番号:65010081 4冊合本

外部リンク

[編集]