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岡山恭崇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡山恭崇
Okayama Yasutaka
引退
ポジション センター
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1954-11-29) 1954年11月29日(70歳)
出身地 熊本県の旗熊本県上益城郡益城町
身長(現役時) 230cm (7 ft 7 in)
体重(現役時) 158kg (348 lb)
キャリア情報
高校 九州学院高校
大学 大阪商業大学
NBAドラフト 1981年 / 8巡目 / 全体171位[1]
経歴
選手時代:
1979-1990住友金属
コーチ時代:
1993-1995住友金属(AC)
1996-1999大阪商業大学(AC)
代表歴
キャップ 日本の旗 日本
獲得メダル
日本の旗 日本
バスケットボール
アジア競技大会
1982 ニューデリー 男子

岡山 恭崇 (おかやま やすたか、1954年11月29日 - )は、熊本県出身の元バスケットボール選手。現役時代のポジションはセンター。

日本人で初めてNBAドラフトで指名を受けた選手である。

人物

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九州学院高校卒業。大阪商業大学進学と同時にバスケットボールを始めた。中学高校時代は柔道選手(二段取得)であり、柔道選手としていくつか大学から勧誘もあったが、大商大バスケットボール部監督の人柄に引かれて転向を決意した[1]1979年住友金属工業に入社し、籠球団に所属。同年、日本リーグのリバウンド王、新人王を獲得。身長は歴代日本人選手最長の230cm、体重158kgだった。2019年現在、存命中の日本人としては最長身。 現役時代に周囲よりつけられたあだ名は、その容姿の逆をあえて言った『チビ』であった。ちなみに、家族は父親が172cm、母親が158cm、妹が162cmと普通サイズである。[2]

来歴

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身長230cm(7フィート7インチ)(227cmと表記されていることもあった。)の長身を生かしたプレーが魅力で、得点王や敢闘賞などの個人タイトルも数多く獲得。一方で全日本の中心選手として1979年から8年間に渡り活躍した。1981年のNBAドラフトでは、ゴールデンステート・ウォリアーズからドラフト8巡の10番目で指名を受けた[2][3]。NBAのドラフト指名は日本人初。しかし、主力選手を失うことになる住友金属が移籍に難色を示したことや、岡山本人もオリンピック出場を希望していたこともあり(当時NBA選手のオリンピック出場は禁止されていた)交渉は進まず、プレーすることはなかった。

1990年に現役を引退し、アメリカでのコーチ研修を経て1993年から1995年まで住友金属アシスタントコーチ。1996年から1999年まで母校である大阪商業大学アシスタントコーチを務めた。

現在は2010年4月から関根床用鋼板株式会社の社業と並行し、テレビ番組出演などでバスケットボールの普及活動に当たっている。

著書

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  • 岡山恭崇の楽しいバスケットボール(小峰書店、1989年)ISBN 9784338085045

脚注

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関連項目

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外部リンク

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