山名八幡宮
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山名八幡宮 | |
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鳥居と拝殿 | |
所在地 | 群馬県高崎市山名町1581 |
位置 | 北緯36度16分43.2秒 東経139度02分14.3秒 / 北緯36.278667度 東経139.037306度 |
主祭神 |
玉依比売命 品陀和気命 息長足比売命 |
社格等 | 旧郷社 |
創建 | 安元年間(1175年 - 1177年) |
本殿の様式 | 三間社流造 |
例祭 | 4月15日、10月15日 |
山名八幡宮(やまなはちまんぐう)は、群馬県高崎市山名町にある神社。旧社格は郷社。
由緒
[編集]清和源氏新田義重の子で、山名氏の祖の山名義範が安元年間(1175年 - 1177年)に豊前国(大分県)の宇佐神宮から勧請し、文治年間(1185年 - 1190年)に社殿を造営したと伝えられる[1][2]。
応永年間に南朝の尹良親王が山名城に滞在の折、城主世良田政義の娘が親王の子(良王君)を懐妊し、当社にその安産を祈願したと伝えられ、以来、安産・子育て・虫封じの神として信仰が篤い[1][2]。
宝永2年(1705年)前橋藩主・酒井忠挙より社地2町7反1畝7歩、乗鞍などを寄進された[1]。
現在の社殿は本殿と幣殿が18世紀、拝殿が昭和61年(1986年)の建築[1]。社宝には、義範が奉納したという「天国の宝剣」、政義と良王君が奉納したという太刀、酒井忠挙が寄進した乗鞍などがある[2]。
二叉大根の信仰があり、拝殿天井絵には大黒天が二叉大根を担ぐ絵があるほか、算額にも二叉大根についての問題がある[1]。縁起物として授与される「張子の獅子頭」は県指定の郷土伝統民芸品[要出典]で、古来人気が高い[2]。
文化財
[編集]高崎市指定重要文化財
- 山名八幡宮算額(昭和50年1月31日指定) - 明治18年(1885年)、関流岸幸太郎の奉納[4]。
- 山名八幡宮本殿・幣殿(平成7年3月24日)[5] - 本殿は三間社流造銅板葺で背面千鳥破風付、向拝唐破風付で前橋藩主・酒井雅楽頭によって明和4年(1767年)に建造された。幣殿も同時期の建築とみられる[1]。
交通アクセス
[編集]周辺
[編集]- 群馬県道30号線
- 高崎市立南八幡小学校
- 高崎市立南八幡中学校
- 上信電鉄上信線・山名駅
- 高崎商科大学・高崎商科大学短期大学部
- 山名城跡
- 山ノ上碑・山ノ上古墳
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 群馬県地域創生部文化財保護課 2022, pp. 109–113.
- ^ a b c d 多野藤岡地方誌編集委員会 1976, pp. 672–674.
- ^ 群馬県文化事業振興会 1981, p. 48.
- ^ “山名八幡宮算額 - 高崎市文化財情報 - 高崎市公式ホームページ”. www.city.takasaki.gunma.jp. 2024年8月28日閲覧。
- ^ “山名八幡宮本殿・幣殿 - 高崎市文化財情報 - 高崎市公式ホームページ”. www.city.takasaki.gunma.jp. 2024年8月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 群馬県地域創生部文化財保護課『群馬県近世寺社総合調査報告書-歴史的建造物を中心に-神社編』群馬県前橋市大手町一丁目1番1号、2022年3月18日(原著2022年3月18日)。doi:10.24484/sitereports.121895。 NCID BC14492681 。
- 多野藤岡地方誌編集委員会 編『多野藤岡地方誌』 総説編、多野藤岡地方誌編集委員会、1976年12月23日。doi:10.11501/9641325。(要登録)
- 『上野国郡村誌』 7 多野郡、群馬県文化事業振興会、1981年10月30日。doi:10.11501/9642454。(要登録)