小笠原長禎
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 天明元年5月20日(1781年6月11日) |
死没 | 文政8年5月21日(1825年7月6日) |
改名 | 豊松丸(幼名)、長禎 |
別名 | 惣次郎 |
戒名 | 明徳院定恵宗円 |
墓所 | 東京都練馬区桜台の円満山広徳寺 |
官位 | 従五位下・信濃守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
藩 | 播磨安志藩主 |
氏族 | 小笠原氏 |
父母 | 父:小笠原長為、母:小笠原貞顕の娘 |
兄弟 | 忠固、長禎、小笠原長世継室 |
妻 |
正室:松平親盈の娘 継室:植村家長の娘 |
子 | 長武、佐野資行正室、松下之方正室 |
小笠原 長禎(おがさわら ながよし)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。播磨国安志藩の第4代藩主。官位は従五位下・信濃守。忠脩系小笠原家9代。
生涯
[編集]天明元年(1781年)5月20日、第3代藩主・小笠原長為の次男として生まれる(正室の子のため長男扱い)。天明2年(1782年)に父が死去したため跡を継ぐ。天明の飢饉では、隣藩の林田藩で打ちこわしが起こると、その鎮圧のために援軍を派遣している。寛政8年(1796年)12月19日に叙任する。文政5年(1822年)1月には藩札を発行するなどしている。
文政6年(1823年)8月23日、長男の長武に家督を譲って隠居し、文政8年(1825年)5月21日に死去した。享年45。