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小笠原長禎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小笠原長禎
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 天明元年5月20日1781年6月11日
死没 文政8年5月21日1825年7月6日
改名 豊松丸(幼名)、長禎
別名 惣次郎
戒名 明徳院定恵宗円
墓所 東京都練馬区桜台の円満山広徳寺
官位 従五位下信濃守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治家斉
播磨安志藩
氏族 小笠原氏
父母 父:小笠原長為、母:小笠原貞顕の娘
兄弟 忠固長禎小笠原長世継室
正室:松平親盈の娘
継室:植村家長の娘
長武佐野資行正室、松下之方正室
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小笠原 長禎(おがさわら ながよし)は、江戸時代中期から後期にかけての大名播磨国安志藩の第4代藩主。官位従五位下信濃守。忠脩系小笠原家9代。

生涯

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天明元年(1781年)5月20日、第3代藩主・小笠原長為の次男として生まれる(正室の子のため長男扱い)。天明2年(1782年)に父が死去したため跡を継ぐ。天明の飢饉では、隣藩の林田藩打ちこわしが起こると、その鎮圧のために援軍を派遣している。寛政8年(1796年)12月19日に叙任する。文政5年(1822年)1月には藩札を発行するなどしている。

文政6年(1823年)8月23日、長男の長武に家督を譲って隠居し、文政8年(1825年)5月21日に死去した。享年45。

系譜

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