奥村一
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奥村 一 | |
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別名 | セルゲイ・クロマコフ (Serge Kromakov, Sergei Kromakov)[1] |
生誕 | 1925年1月13日 |
出身地 | 日本、東京都[1] |
死没 | 1994年4月2日(69歳没) |
学歴 | 東京音楽学校本科作曲科・同研究科 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
奥村 一(おくむら はじめ、1925年1月13日 - 1994年4月2日[1])は、日本の作曲家。埼玉県出身。
略歴
[編集]1944年に陸軍戸山学校軍楽生徒隊に入隊し、オーボエを与えられた[2]。東京音楽学校本科作曲科を1947年に卒業、同研究科を1949年に修了。成田為三、橋本国彦、細川碧、信時潔、伊福部昭らに作曲を、永井進にピアノを師事[1]。音楽学校からの同期には芥川也寸志、梶原完、斎藤高順ら14人がいる[3]。1950年代から1960年代には多くの映画音楽を手がけた[4]。
ピアノ作品が多く、リズムとダイナミックスを際立たす音楽が多い。代表作には1961年に書かれた「ピアノ・ソナチネ第4番」がある。
吹奏楽の分野では、藤田玄播、斎藤高順、岩河三郎、岩井直溥、名取吾朗、川崎優、桑原洋明とともに作曲家グループ「ニューエイトの会」を結成し[5]、意欲的に新曲の作曲を行った。行進曲「太陽の下に」が第19回全日本吹奏楽コンクールの課題曲になり、また全日本吹奏楽連盟の委嘱により第27回全日本吹奏楽コンクール課題曲として行進曲「青春は限りなく」を作曲している。
さいたま市立宮前中学校の校歌も手掛けた。
主要作品
[編集]ピアノ曲
[編集]- ピアノ・ソナタ第1番(1949年)
- ピアノ・ソナタ第2番(1956年)
- ピアノ・ソナタ第3番
- ピアノ・ソナチネ第1番
- ピアノ・ソナチネ第2番(1960年)
- ピアノ・ソナチネ第3番(1961年)
- ピアノ・ソナチネ第4番(1961年)
- ピアノ・ソナチネ第5番(1968年)
- ピアノのための二つのソナタ
- ピアノのためのカプリチオ
- ピアノ独奏曲いたずらっ子のプレリュード
- ピアノ独奏曲ハイウェイ
- 日本民謡ピアノ曲集1・2集(1963年)
- おどり
- 即興舞曲
- トッカータ「工事現場」
- 花に寄せる3つの前奏曲
- 2台のピアノのための「屋台ばやし」
- ピアノ協奏曲
- 「こどもの広場」ピアノ曲集
- 「4つのおはなし」ピアノ曲集
- 「こどもの城」ハイウェイ
- 子供のための2つの作品
- 子供のためのソナチネ
- 「黒いひとみ」の主題による幻想曲(セルゲイ・クロマコフ名義)
- モスクワの想い出:赤いサラファンによる幻想曲(セルゲイ・クロマコフ名義)
その他の器楽曲
[編集]- フルート、チェロ、ピアノのためのトリオ「日本の初春」(1969年)
吹奏楽曲
[編集]- 行進曲「若人の力」(1966年)
- 行進曲「われら若人」(1966年)
- 音戸の舟唄(1968年)
- 金管アンサンブルのためのコンポジション(1968年)
- バンドのための組曲(1969年)
- 行進曲「オン・トップ・フライング」(1970年)
- バンドのための前奏曲「祈り」(1970年)
- 行進曲「太陽の下に」(1971年) - 第19回全日本吹奏楽コンクール課題曲
- バンドのための舞曲「ラプソディー」(1972年)
- 組曲「秩父夜祭り」(1976年)
- 幻想的詩曲「十和田湖」(1977年)
- 御陣乗太鼓への幻影(1978年)
- バレエ「登呂の人々」豊作祭の踊り(1979年)
- 行進曲「青春は限りなく」(1979年) - 全日本吹奏楽連盟委嘱作品(第27回全日本吹奏楽コンクール課題曲)
- ドラマチック・ファンタジー「阿修羅像」(1980年) - 東京吹奏楽団委嘱作品
- ピアノとウインドオーケストラのための「ラプソディ」 (1982年)
- 葬列(1984年)
- 故郷
バレエ音楽
[編集]- 祭り
- 登呂遺跡
- 天草四郎
オペラ
[編集]- 人待つ女(1958年)
- モノオペラ「静」(1970年)
- お夏狂乱
- 羽衣
声楽曲
[編集]- ちいさいエトランゼ(作詞:持田勝穂)(1967年)
- 一本の樫の木
- 春四月(新しい日本の歌=第12集 合唱編)
- 榛名賛歌
- 第2回日本ジャンボリーの歌
- 社歌
- 越谷市の歌
- 群馬県立富岡高等学校校歌
- 群馬県立板倉高等学校校歌
- さいたま市立宮前中学校校歌
- さいたま市立尾間木中学校校歌
- コンピュータの世界
- 埼玉県上尾市立太平中学校校歌
映画、ラジオドラマ音楽
[編集]- 本日休診(1952年)
- 波(1952年)
- 二つの花(1952年)
- 父帰る(1952年)
- 「幻なりき」より 郷愁(1952年)
- 坊ちゃん重役(1952年)
- 現代人(1952年)
- 若君罷り通る(1952年)
- 花咲く我が家(1952年)
- 夢見る人々(1953年)
- お役者小僧(1953年)
- 愛慾の裁き(1953年)
- 落葉日記(1953年)
- 真珠母(1953年)
- めぐり逢い(1953年)
- 次郎吉娘(1953年)
- 荒川の佐吉 遊侠夫婦笠(1953年)
- 連続放送劇「潮騒」(1954年)
- 蛮から社員(1954年)
- 若き日の誘惑(1954年)
- 恋愛パトロール(1954年)
- 勲章(1954年)
- 新婚たくあん夫婦(1954年)
- 怪人二十面相 第一部 人か魔か?(1954年)
- 名探偵明智小五郎シリーズ 怪人二十面相 第二部 巨人対怪人(1954年)
- 名探偵明智小五郎シリーズ 怪人二十面相 第三部 怪盗粉砕(1954年)
- 僕は横丁の人気者 第一部陽気なゴン兵さん(1955年)
- 僕は横丁の人気者 第二部フーちゃんの子守唄(1955年)
- むすこ大学(1956年)
- 美貌の園 前篇嘆きの花 後篇愛憎の夜(1956年)
- 見事な娘(1956年)
- 魔の季節 春のみづうみ(1956年)
- お母さんの黒板(1956年)
- 鬼の居ぬ間(1956年)
- 楽天夫人(1956年)
- 茶の間の時間 愛情の波紋(1956年)
- 天上大風(1956年)
- 白磁の人(1957年)
- 近くて遠きは(1957年)
- オーケストラの姉妹(1957年)
- 折鶴さんど笠(1957年)
- わが胸に虹は消えず 第一部(1957年)
- わが胸に虹は消えず 第二部(1957年)
- 月と接吻(1957年)
- おトラさん(1957年)
- 消された刑事(1958年)
- デン助の小学一年生(1958年)
- JA750号機行方不明(1959年)
- 一刀斎は背番号6(1959年)
- トップ屋取材帖 迫り来る危機(1959年)
- 闇に光る眼(1960年)
- 勝利と敗北(1960年)
- 素晴らしき遺産(1960年)
- お嬢さんの散歩道(1960年)
- 女妖(1960年)
- 百万弗を叩き出せ(1961年)
- 風神雷神(1962年)
- 野獣の青春(1963年)
- 悪太郎(1963年)
- 黒の死球(1963年)
- 花と怒濤(1964年)
- 悪太郎伝 悪い星の下でも(1965年)
脚注
[編集]- ^ a b c d 細川周平、片山杜秀 監修『日本の作曲家 近現代音楽人名事典』日外アソシエーツ、2008年、162-163頁。ISBN 978-4-8169-2119-3。
- ^ 團伊玖磨. “エッセイ「もがりぶえ」”. ムラマツフルート. 2013年4月6日閲覧。
- ^ 芥川也寸志『音楽の旅』旺文社, 1981年, p24
- ^ “奥村 一のプロフィール”. allcinema.net. 2013年4月6日閲覧。
- ^ 岩井直溥 (2009年7月14日). “第25回 ニュー・エイトの会(1)”. 2013年4月7日閲覧。
外部リンク
[編集]参考文献を兼ねる