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天草五人衆(あまくさごにんしゅう)は、天草諸島の国人衆、天草氏・志岐氏・大矢野氏・栖本氏・上津浦氏のことを指す。
天草五人衆は豊臣秀吉の九州平定の際に臣従し、肥後南部の領主に任じられた小西行長の元で所領を安堵された。しかし、小西行長の宇土城の城普請の要求を、志岐鎮経(志岐麟泉)を筆頭に五人衆は拒否し、天正17年(1589年)に天草種元(天草久種の家臣)・大矢野種基・上津浦種直・栖本親高ら五人衆全てが反乱を起こした(天草国人一揆)。領主の小西行長が助勢に来た加藤清正と共に攻め込み、五人衆は滅亡あるいは服属の運命をたどった。