天浪
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天浪 | |
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空港敷地内の天浪付近の様子 | |
北緯35度45分59.0秒 東経140度22分41.0秒 / 北緯35.766389度 東経140.378056度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 成田市 |
地区 | 遠山地区 |
面積 | |
• 合計 | 1.117 km2 |
人口 | |
• 合計 | 0人 |
• 密度 | 0.0人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
282-0001[3] |
市外局番 | 0476[4] |
ナンバープレート | 成田 |
天浪(てんなみ)は、千葉県成田市の大字。2017年10月31日現在の人口は0人[2]。郵便番号は282-0001[3]。
地理
[編集]成田市の南東部に位置し、遠山地区に所属する。周辺の駒井野、古込、三里塚と隣接する。
東三里塚、古込と同様、ほぼすべての区域が成田国際空港(旧称・新東京国際空港)の敷地の一部であり、A滑走路、誘導路、第一旅客ターミナルのエプロンなどの施設が置かれている。
歴史
[編集]天浪は戦後開拓を中心とした地区であり、かつては天浪第一(南)・天浪第二(東)・天浪第三(北)と3つに分かれていた[5]。
沖縄県出身者の入植者(沖縄協会)は、久米島出身の僧侶与世盛智郎が中心となって入植活動を行い、主に牧草地からなる天浪第一に入植した(50世帯100人)[5][6][7]。初期には宮内庁下総御料牧場の馬小屋で共同生活をするなどした[5]。
戦災者同盟は労農党員であった伊達廣に率いられ、松や杉の林が多い第二・第三に入植した(裁判や交渉の結果、既に第一での戦災者同盟農民が開墾していた農地は沖縄出身者に譲られた)[5]。
1966年7月4日に成田空港の建設が閣議決定され、ほぼすべての区域が空港の敷地となった。ほとんど一方的な決定は周辺地域の入植者からの反発を招いて三里塚芝山連合空港反対同盟の結成につながるが、天浪の住民ら(当時32家族[6])はこの動きから一線を画して集団で事態への対処に取り組んだ。同年10月27日には古込・木の根とともに成田市条件闘争連盟を結成[8]。条件交渉を経て、全世帯が立ち退きに応じた[9]。
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
地域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 成田市立三里塚小学校[10] | 成田市立遠山中学校[11] |
施設
[編集]交通
[編集]道路
[編集]当地域を縦貫するような国道や県道は存在しない。
脚注
[編集]- ^ “平成28年版 成田市統計書”. 成田市 (2017年1月16日). 2017年11月12日閲覧。
- ^ a b “住民基本台帳字別人口”. 成田市 (2017年11月16日). 2017年11月29日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月28日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月29日閲覧。
- ^ a b c d e 福田克彦 (2001). 三里塚アンドソイル. 平原社. pp. 39-41
- ^ a b “成田 歴史 玉手箱 第20回”. 成田市. 2019年9月9日閲覧。
- ^ 神田文人, 高澤美子「戦後の三里塚牧場の開拓と沖縄・久米島」『環境情報研究』第8号、2000年4月、15-36頁、NAID 120006015947、2021年6月1日閲覧。
- ^ 財団法人千葉県史料研究財団, ed (2007). 千葉県の歴史 資料編 近現代9社会・教育・文化3. 千葉県. pp. 796-797
- ^ 『壊死する風景―三里塚農民の生とことば (復刻・シリーズ1960/70年代の住民運動)』のら社同人、2005年、111-116頁。
- ^ “成田市立小学校通学区域 一覧”. 2017年11月18日閲覧。
- ^ “成田市立中学校通学区域について”. 2017年11月18日閲覧。
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