コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

寺台

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 千葉県 > 成田市 > 寺台
寺台
寺台の位置(千葉県内)
寺台
寺台
寺台の位置
北緯35度47分13.6秒 東経140度19分36.7秒 / 北緯35.787111度 東経140.326861度 / 35.787111; 140.326861
日本の旗 日本
都道府県 千葉県
市町村 成田市
地区 成田地区
人口
2021年(令和3年)9月30日現在)[1]
 • 合計 1,038人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
286-0022[2]
市外局番 0476[3]
ナンバープレート 成田
※座標は寺台城跡付近

寺台(てらだい)は、千葉県成田市大字郵便番号286-0022[2]

歴史

[編集]

成田の薬師堂にある木造薬師如来像胎内(1581年)の銘や1591年(天正19年)の検地帳から、埴生庄の一部であったことが確認されている[4]

保目ほうめには、馬場伊勢守勝政が居城とし、1590年に海保甲斐守三吉が徳川家康から与えられたと伝えられる寺台城があった[4][5][6]

近世には佐倉藩領となるが、小野忠明の領地となったこともある[4]

本陣脇本陣旅籠屋が置かれる香取鹿島街道(勅使街道)の宿場であったが、次第に宿場的色彩が強くなった隣の成田村の旅籠に旅人を奪われるようになった。1830年(天保元年)の大火もあって村民の生活が悪化したため、成田村の賃取馬・駕籠の全面差止めの訴訟を起こすが、1846年に人馬の継立てを両村で半月ごとに交替することで決着した[4]

1930年には有料の展望施設として通天閣が建設されたが、1940年に空襲の標的になるとして解体された[4]

世帯数と人口

[編集]

2021年(令和3年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
寺台 521世帯 1,038人

交通

[編集]

道路

[編集]

鉄道

[編集]

かつて成田鉄道多古線東成田駅があった[4]

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b 住民基本台帳字別人口”. 成田市 (2021年10月11日). 2021年10月30日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2021年10月30日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月29日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 成田市立図書館 2011, p. 135.
  5. ^ 成田市立図書館 2011, p. 307.
  6. ^ 小牧, 美知枝『寺台城跡(第1・2・3・4・5次)』 348巻千葉県佐倉市春路1-1-4〈公益財団法人印旛郡市文化財センター発掘調査報告書〉、2016年12月28日(原著2016年12月28日)。 NCID BB24150075https://sitereports.nabunken.go.jp/32797 

参考文献

[編集]
  • 成田市立図書館 編『成田の地名と歴史』成田市、2011年3月。