天喜 (西遼)
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天喜(てんき)は、西遼の末主耶律直魯古の治世に使用された元号。
使用年代には複数の説があり、1178年 - 1211年説及び1168年 - 1201年説がある。
『遼史』では天禧と記録されているが、2020年代にロシアの考古学者らがウズベキスタンのウスチュルト台地やキルギスのベラサグン遺跡で契丹印章(契丹文字:)や漢字の「天喜元寳」貨幣を発見し、それが正しいことが証明された。元号は「天喜」とする。
西暦・干支との対照表
[編集]天禧 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 7年 | 8年 | 9年 | 10年 |
西暦 | 1178年 | 1179年 | 1180年 | 1181年 | 1182年 | 1183年 | 1184年 | 1185年 | 1186年 | 1187年 |
干支 | 戊戌 | 己亥 | 庚子 | 辛丑 | 壬寅 | 癸卯 | 甲辰 | 乙巳 | 丙午 | 丁未 |
天禧 | 11年 | 12年 | 13年 | 14年 | 15年 | 16年 | 17年 | 18年 | 19年 | 20年 |
西暦 | 1188年 | 1189年 | 1190年 | 1191年 | 1192年 | 1193年 | 1194年 | 1195年 | 1196年 | 1197年 |
干支 | 戊申 | 己酉 | 庚戌 | 辛亥 | 壬子 | 癸丑 | 甲寅 | 乙卯 | 丙辰 | 丁巳 |
天禧 | 21年 | 22年 | 23年 | 24年 | 25年 | 26年 | 27年 | 28年 | 29年 | 30年 |
西暦 | 1198年 | 1199年 | 1200年 | 1201年 | 1202年 | 1203年 | 1204年 | 1205年 | 1206年 | 1207年 |
干支 | 戊午 | 己未 | 庚申 | 辛酉 | 壬戌 | 癸亥 | 甲子 | 乙丑 | 丙寅 | 丁卯 |
天禧 | 31年 | 32年 | 33年 | 34年 | ||||||
西暦 | 1208年 | 1209年 | 1210年 | 1211年 | ||||||
干支 | 戊辰 | 己巳 | 庚午 | 辛未 |
出典
[編集]- 『遼史』巻30 本紀第30 天祚皇帝4 : 仁宗次子直魯古即位、改元天禧、在位三十四年。
- “BabelStone’s blog” (英語). 2023年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月15日閲覧。
- 別利亞耶夫; 斯達諾維奇 (2022年). “「天喜元寶」辨——記新發現的西遼錢幣” (中国語). 《中國錢幣》 (第4期): 第36-38頁 .
参考文献
[編集]- 李崇智 『中国歴代年号考 修訂本』(北京:中華書局,2001年1月) ISBN 7101025129 180ページ。
- 鄧洪波編 『東亜歴史年表』(台北:台湾大学出版中心,2005年3月) ISBN 9860005184 203, 207ページ。
- いずれも1178年 - 1211年説を採る。汪遠孫『西遼紀年表』(『二十五史補編』第6冊)に基づく。
関連項目
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