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大谷田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 東京都 > 足立区 > 大谷田
大谷田
町丁
一丁目から見たら大谷田陸橋
地図北緯35度46分50秒 東経139度50分32秒 / 北緯35.780633度 東経139.84235度 / 35.780633; 139.84235
日本の旗 日本
都道府県 東京都の旗 東京
特別区 足立区
人口情報2024年(令和6年)4月1日現在[1]
 人口 16,370 人
 世帯数 9,019 世帯
面積[2]
  0.950122633 km²
人口密度 17229.35 人/km²
郵便番号 120-0001[3]
市外局番 03(東京MA[4]
ナンバープレート 足立
ウィキポータル 日本の町・字
東京都の旗 ウィキポータル 東京都
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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大谷田(おおやた)[3]は、東京都足立区町名住居表示実施済みで、現行行政地名は大谷田一丁目から大谷田五丁目。

地理

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東京都足立区東部の東渕江地域に属する。旧町名は大谷田町、佐野町、長門町、大谷田新町・二丁目、大谷田町一丁目、辰沼町。隣接する地域は、北は佐野、西は辰沼および谷中、南は東和および中川、東は葛飾区西水元

足立区を東西に貫く東京都道318号環状七号線(環七通り)が区東部で大きく南に曲がる屈曲部の北東側に位置する。地区の東端はそのまま足立区の東端であり(最東端ではない)、南北に流れる第一級河川中川をはさんで葛飾区西水元と対峙している(葛飾区とは大谷田一丁目付近の飯塚橋で連絡できる)。

当地区の中央を農業用水路の葛西用水路が南北に縦貫しており、親水水路として近所の子供たちの遊び場となっている。ザリガニ金魚が見られることもあるが、代表的な生き物としてはが挙げられる。用水路上には浮木橋が架けられていたが、老朽化による強度不足から取り壊された。水路沿いにの並木がある。

一丁目

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銀河の塔

南東部。東は中川で隔てて対岸に葛飾区、西は葛西用水路の対岸に大谷田三丁目、南を東京都道307号王子金町江戸川線で隔てて中川五丁目、北を大谷田二丁目と接する。面積は約230,000m2

葛西用水路沿いの1番地には、もともと日立建機亀有工場跡地に建てられた、公団大谷田一丁目団地の高層住宅棟群が立ち並んでいる。1号棟から10号棟までがあり、そのどれもが異なる外観をしている。約3,000戸の住居があり、足立区公式サイトの地区人口表を見ても分かるとおり、群を抜いて大きな世帯・人口を抱えている。

また、団地住民のために団地敷地内には小さいながらも商店街を抱え、他に三井住友銀行(窓口業務は廃止。ATM業務のみ)、郵便局診療所保育園、住区センター、公園などがあり、ここだけでまとまったコミュニティーを形成している。

中川沿いには足立区立第十二中学校が、その裏には常善院墓地がある。東京都道307号王子金町江戸川線沿いの温泉「明神の湯」は、近隣だけでなく遠方からも入湯客が訪れる。環七大谷田陸橋付近で葛西用水路が暗渠に潜る場所の近くには、高さ約26mの「銀河の塔」が建っている。これは陸橋を挟んだ東和4丁目とを連絡するための歩行者自転車用の地下トンネルの出入口となっている。完成当初からしばらくの間は、夜間には光ファイバーによるライトアップがされていたが、数年ほどしてからまったく行われなくなった。塔の中ほどまで階段で登ることができ、階段の上端からは葛西用水路と桜並木が遠方まで見渡せる。

二丁目

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北東部。東を第一級河川中川で隔てて対岸に葛飾区、西を葛西用水路、南を大谷田一丁目、北を佐野一丁目と接する。面積は約184,000m2

葛西用水路と公団大谷田一丁目団地とに面して、足立区立中川東小学校がある。この小学校は大谷田団地の建設と、それによる児童人口の増加が既存の足立区立中川小学校だけでは収容しきれないことなどを見越して開校した。小学校と隣接する足立区立おおやた幼保園は、厚生労働省所管の保育園と文部科学省所管の幼稚園の機能を統合し、2004年平成16年)に足立区立大谷田幼稚園を改編して設立された。道路を隔てて東京都立足立東高等学校が隣接している。中川沿いにはボナハイツマンションが立ち並ぶ。

三丁目

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南部。東を大谷田一丁目、西を大谷田四丁目、南を東京都道318号環状七号線(環七通り)、北を大谷田五丁目と接する。面積は約190,000m2

葛西用水路沿いに足立区立中川小学校がある。小学校の近くには高層マンションが建ち、大谷田団地と並んで地区内でも特に大きな建造物となっている。

四丁目

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南西部。東を大谷田三丁目、西を谷中三丁目、南を環七通り、北を大谷田五丁目と接する。面積は約130,000m2

島忠家具ホームセンターに隣接して大谷田公園がある。この公園にはの樹が植樹してあり、梅の間をめぐるように設置された木道の上を季節ごとに歩いて楽しめる。公園内の広場では不定期にバザーが開かれることがある。

五丁目

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北西部。東を大谷田二丁目・佐野一丁目、西を谷中五丁目、南を大谷田三・四丁目、北を佐野二丁目と接する。一部で辰沼とも接している。面積は約202,000m2

葛西用水路に面して足立区立郷土博物館がある。館内には巨大な山車が展示してあるほか、さまざまな常設展示品や企画展示品がある。敷地内の東淵江庭園には無料で入園することができる。

地価

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住宅地の地価は、2024年令和6年)1月1日公示地価によれば、大谷田2-20-14の地点で25万5000円/m2となっている[5]

歴史

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5、6千年前にまだ奥東京湾関東地方中部まで入り込んでいた頃、大谷田地区も例外なく海面下に沈んでいた。のちに海岸線が後退して現在の沖積平野を形成してから、人々がこの地に南下してきて定住したと考えられる。大谷田村がいつから開発されたのか詳細は分かっていないが、江戸時代初期の元和年間には「大谷田」の記述が初めて記載される。この辺りの土地は利根川自然堤防後背湿地にあり、きわめて水利条件が悪く、初め人々は自然堤防上で暮らしていたとされる。実際、第一級河川中川の堤防沿いにある「常善院」は自然堤防上に位置するが、そこで東淵江地域最古の板碑が発見されたという。このことから、大谷田の歴史も東淵江の他の地区と同じように、自然堤防上から始まったと考えられる。

東淵江地域では普賢寺村(ふげんじ、現・東綾瀬)、蒲原村(かばらむら、現・東和)に並んで古い村であろうと推測されている。現在の大谷田地区はいくつかの小字(上、中、下、碇り耕地、八百免耕地、貝瀬耕地[6]、稗田耕地、前谷耕地、ほか)に分かれていた。現在、この地名は八百免公園(佐野一丁目5番1号)と、葛西用水親水水路に架かる「貝瀬」橋、「堤田」橋、「碇」橋に残されている。なお、大谷田が43年間所属した「東淵江」村の名称は、足立区立郷土博物館前に架かる「東淵江」橋と、博物館裏の「東淵江」庭園に残された。

かつては武蔵国東部に広がる足立郡の南部にある渕江領に属していたが、1871年明治4年)に廃藩置県東京府が置かれ、足立郡が埼玉県側と南北に分割されると、周辺5箇村と合併し東京府側の南足立郡東渕江村に編入された。1932年昭和7年)の東京市制導入以降は南足立郡は改編され「足立区」となり、1960年(昭和35年)から始まった地区の再編成の中で、1976年(昭和51年)に現在の大谷田が成立した。

沿革

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江戸時代以前
この頃からすでに大谷田地域は開発されていたと推測される。
江戸時代
この頃(元和年間)に宇田川出雲が義真言宗典勇山常善院神勝寺(通称「常善院」)を創建する[6]
当初の村高は860余石(田が749余石、畑が111余石)であったが、その後増加し元禄年間には893余石になったという(元禄郷帳)。
この頃(享保年間)、徳川吉宗鷹狩りの際に真言宗豊山派常善院に立ち寄る[6]
  • 1789年寛政元年)11月5日 - 常善院が御膳所となる[6]
  • 1792年(寛政4年) - 新田検地を実施[6]
  • 1793年(寛政5年) - 火災により常善院本堂が消失。
この頃(化政期)の家数は100軒[6]
この頃(天保年間)の村高は898余石(天保郷帳)。
幕末期の村高は894余石、新田4余石。
明治時代
この頃の村高は894余石、田畑などは111町歩(小菅県示書)。
  • 1872年(明治5年) - 戸数115軒、人口661人(府示科)。
  • 同年 - 大区小区制施行により、東京府第五大区八小区となる。
  • 1875年(明治8年) - 立応寺が火災焼失する。
  • 1878年(明治11年) - 郡区町村編制法施行により、東京府南足立郡大谷田村となる。
  • 1889年(明治22年) - 南足立郡東渕江村大字となる。名称は「大谷田」。
大正時代
昭和時代
  • 1928年(昭和3年) - 日本煉瓦製造が亀有工場を廃止(1936年に敷地と一部施設を日立製作所に売却)。
  • 1932年(昭和7年) - 東京市設置。南足立郡を足立区に再編。東京市足立区大谷田町となる。
  • 1937年(昭和12年) - 日立製作所亀有工場が操業開始。
  • 1943年(昭和18年) - 東京都制施行。東京都足立区大谷田町となる。
  • 1947年(昭和22年)9月19日 - カスリーン台風の豪雨による利根川の堤防決壊で浸水被害を受ける。同年、足立区立第十二中学校が開校。
  • 1948年(昭和23年) - 日立精機株式会社の社員寮を東京都が買収、引揚者の寮となる。
  • 1950年(昭和30年)9月6日 - 旧飯塚橋開通。飯塚の渡しが廃止される。
  • 1951年(昭和31年) - 引揚者寮を都立足立母子寮に改編、大谷田母子寮となる。
  • 1960年(昭和35年) - 大谷田町の解体再編により、大谷田新町一丁目-二丁目、大谷田町一丁目-三丁目となる。また一部は現行の中川一丁目、中川二丁目、中川四丁目、中川五丁目、東和四丁目となる。
  • 同年 - 足立区立第十二中学校の改築により、福寿院が現住所地へ移転。
  • 1961年(昭和36年) - 綾瀬荘が開設される。
  • 1962年(昭和37年)
  • 1965年(昭和40年)12月28日 - 大谷田公園が開園。
  • 1967年(昭和42年) - 大谷田1-2丁目が成立。
  • 1972年(昭和43年) - 日立製作所亀有工場の移転が決定。跡地に日本住宅公団の住宅建設用地とすることが決定。
  • 1973年(昭和48年) - 大谷田新町を解体再編、大谷田三-四丁目が成立。
  • 1974年(昭和49年) - 日立製作所亀有工場が閉鎖。
  • 1976年(昭和51年) - 大谷田二丁目を再編。五丁目が成立。これにより現行の「大谷田一-五丁目」が成立する。同年、東京都立足立東高等学校が開校。足立区立大谷田幼稚園が開園。
  • 1977年(昭和52年) - 大谷田一丁目団地の入居開始。
    • 同年6月 - 足立区立第一・第二保育園が開園
  • 1978年(昭和53年)6月3日 - 大谷田記念公園が開園。
  • 1980年(昭和55年)4月1日 - 足立区立中川東小学校が開校。
  • 1982年(昭和57年)4月1日 - 柳田公園が開園。
  • 1983年(昭和58年)3月25日 - 中川防災公園が開園。
  • 1986年(昭和61年)1月13日 - 足立区立郷土博物館が開園。東淵江庭園が開園。
  • 1987年(昭和62年) - 常善院が足立区登録有形文化財に登録される。
平成時代
  • 1992年(平成4年) - 大谷田地下道およびランドマークタワー「銀河の塔」落成。
  • 1994年(平和6年) - 新飯塚橋が全面開通。
  • 2004年(平成16年) - 足立区立おおやた幼保園が開園。

世帯数と人口

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2024年(令和6年)4月1日現在(足立区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町名 世帯数 人口
大谷田一丁目 2,679世帯 4,623人
大谷田二丁目 1,086世帯 2,220人
大谷田三丁目 2,162世帯 3,906人
大谷田四丁目 1,061世帯 1,798人
大谷田五丁目 2,031世帯 3,823人
9,019世帯 16,370人

人口の変遷

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国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[7]
16,916
2000年(平成12年)[8]
16,334
2005年(平成17年)[9]
16,771
2010年(平成22年)[10]
18,062
2015年(平成27年)[11]
16,466
2020年(令和2年)[12]
16,667

世帯数の変遷

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国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[7]
6,609
2000年(平成12年)[8]
6,460
2005年(平成17年)[9]
7,228
2010年(平成22年)[10]
8,352
2015年(平成27年)[11]
7,711
2020年(令和2年)[12]
8,409

学区

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区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)[13]。なお、足立区では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。ただし、小学校に関しては、2018年(平成30年)度から学区域または学区域に隣接する学校のみの選択になる[14]

町名 街区 小学校 中学校
大谷田一丁目 全域 足立区立中川東小学校 足立区立第十二中学校
大谷田二丁目 全域
大谷田三丁目 全域 足立区立中川小学校 足立区立谷中中学校
大谷田四丁目 全域
大谷田五丁目 全域 足立区立辰沼小学校

事業所

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2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[15]

町名 事業所数 従業員数
大谷田一丁目 98事業所 516人
大谷田二丁目 41事業所 396人
大谷田三丁目 100事業所 591人
大谷田四丁目 59事業所 524人
大谷田五丁目 101事業所 913人
399事業所 2,940人

事業者数の変遷

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経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[16]
382
2021年(令和3年)[15]
399

従業員数の変遷

[編集]

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[16]
2,614
2021年(令和3年)[15]
2,940

交通

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鉄道

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路線バス

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  • 東武バスセントラル(太字は地区内の停留場。他は終始点停留場)
    • 綾21系統 綾瀬駅 - (中途略) - 大谷田五丁目-東淵江庭園 - (中途略) - 六ッ木都住
    • 綾23系統 綾瀬駅 - (中途略) - 大谷田一丁目 - 大谷田 - 葛飾車庫
    • 有25系統 亀有駅北口 - (中途略) - 大谷田一丁目 - 大谷田 - 葛飾車庫
    • 有26系統 亀有駅北口 - (中途略) - 大谷田一丁目 - 大谷田 - (中途略) - 葛飾車庫
    • 有27系統 亀有駅北口 - (中途略) - 大谷田一丁目 - 大谷田 - (中途略) - 大谷田 - 大谷田一丁目 - (中途略) - 亀有駅北口 ←(循環路線)
    • 有28系統 亀有駅北口 - (中途略) - 大谷田四丁目 - 大谷田五丁目 - 東淵江庭園 - (中途略) - 六ッ木都住
    • 有29系統 亀有駅北口 - (中途略) - 大谷田一丁目 - 中川小学校前 - 大谷田三丁目 - 大谷田五丁目 - 東淵江庭園 - (中途略) - 六ッ木都住
    • 有64系統 亀有駅北口 - (中途略) - 大谷田一丁目 - 中川小学校前 - 足立郷土博物館前 - (中途略) - 八潮駅北口

道路・橋梁

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施設

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東京都立足立東高等学校

史跡

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関連項目

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参考資料

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参考文献
  • 『東京都・日本地名大辞典』(角川書店
  • 『足立風土記稿 地区編7 東淵江』(足立区教育委員会)
  • 『ブックレット 足立風土記7 東淵江地区』(足立区教育委員会)
  • 「大谷田村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ137足立郡ノ3、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763997/58 

他多数

郵便番号

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脚注

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  1. ^ a b 足立区の町丁別の世帯と人口(令和6年)” (CSV). 足立区 (2024年4月12日). 2024年4月20日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ 『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2023年10月28日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b c 大谷田の郵便番号”. 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 国土交通省 不動産情報ライブラリ”. 国土交通省. 2024年4月6日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i 新編武蔵風土記稿 大谷田村.
  7. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  8. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  9. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  10. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  11. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  12. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  13. ^ 区立小・中学校の通学区域表・通学区域図” (PDF). 足立区 (2023年4月1日). 2023年10月28日閲覧。 “(ファイル元のページ)
  14. ^ 学校選択制度について”. 足立区 (2017年6月1日). 2017年12月7日閲覧。
  15. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  16. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  17. ^ 郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。

外部リンク

[編集]