大谷忠雄
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大谷 忠雄 おおたに ただお | |
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生年月日 | 1935年9月19日 |
出生地 | 日本 愛知県名古屋市昭和区 |
没年月日 | 2009年9月27日(74歳没) |
出身校 | 中央大学経済学部 |
所属政党 |
(自由民主党→) (新生党→) 無所属 |
親族 |
祖父・大渓専(桜花学園創立者) 父・大谷贇雄(元参議院議員) 兄・大谷和雄(前学校法人桜花学園理事長) |
選挙区 | 旧愛知6区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1993年7月18日 - 1995年12月5日 |
選挙区 | 名古屋市昭和区選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1979年4月30日 - 1993年7月4日 |
大谷 忠雄(おおたに ただお、1935年9月19日 - 2009年9月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、愛知県議会議員(4期)を務めた。
経歴
[編集]愛知県名古屋市出身[1]。中央大学経済学部卒業。1963年の総選挙に愛知1区から無所属で立候補するも落選。
1976年12月、水平豊彦県議(名古屋市昭和区選出)が第34回衆議院議員総選挙に旧愛知6区から出馬し初当選。その後継として1979年4月、愛知県議会議員選挙に自民党公認で出馬し初当選を果たした[2]。また、水平の秘書を務めた[3]。
1993年6月18日、衆議院が解散。同年6月30日、新生党の小沢一郎代表幹事から要請を受け、同党から出馬することを決意。7月1日に自民党へ離党届を提出した[4]。7月18日に行われた第40回衆議院議員総選挙に旧愛知6区から新生党公認で立候補して初当選した。
同年11月15日、自身の政治団体が所得税の不正還付を受けていたことが発覚[5]。脱税額は7年間で総額約2億7千万円(重加算税約7千万円を含む)に上った[6]。1994年2月に新生党を離党。在宅のまま起訴され、1995年12月5日に議員辞職した[7]。
1996年3月、懲役2年6月・執行猶予5年・罰金1000万円の判決が確定[8]。
第19回参議院議員通常選挙比例区に自由党公認での出馬が決まった[9]が、後に自由党より撤回された[10]。
脚注
[編集]- ^ a b 『中日新聞』2009年10月1日付朝刊、37面、「大谷忠雄氏死去」。
- ^ 『愛知県議会史 第十三巻』愛知県議会、2008年3月15日、248頁。
- ^ 『中日新聞』1993年7月11日付朝刊、21面、「ドキュメント 選1・6区 『長男』も『二男』も当選させたい 自民党へ離党届 水平市議、涙の会見」。
- ^ 『中日新聞』1993年7月2日付朝刊、31面、「『小沢氏の電話で決意』 大谷氏、正式に出馬表明」。
- ^ 『中日新聞』1993年11月15日付夕刊、11面、「大谷代議士の政治団体 10万円寄付なのに『150万円』 政治献金水増し領収書 一部会員不正に税還付受ける」。
- ^ 『中日新聞』1994年6月16日付夕刊、1面、「脱税額は2億円 大谷代議士絡み不正還付事件」。
- ^ 衆議院会議録情報 第134回国会 本会議 第17号
- ^ 朝日新聞1996年3月6日朝刊23頁
- ^ 朝日新聞2000年12月14日朝刊32頁
- ^ 朝日新聞2000年12月14日夕刊10頁
参考文献
[編集]- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。