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大田山一朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大田山一郎から転送)
大田山 一朗
基礎情報
四股名 前田川 一郎 → 岩手山 一郎 → 太田山 一郎 → 大田山 一朗
本名 藤沢 一郎
生年月日 1924年5月3日
没年月日 (1999-11-11) 1999年11月11日(75歳没)
出身 東京都大田区
身長 177cm
体重 120kg
BMI 38.3
所属部屋 高砂部屋
得意技 右四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位前頭20枚目
生涯戦歴 344勝366敗4休(57場所)
幕内戦歴 10勝20敗(2場所)
優勝 十両優勝1回
幕下優勝1回
データ
初土俵 1940年1月場所
入幕 1957年9月場所
引退 1959年5月場所
引退後 年寄・陣幕→同・錦戸
備考
2019年7月15日現在

大田山 一朗(おおたやま いちろう、1924年5月3日 - 1999年11月11日)は、東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区、出生地は岩手県盛岡市上田)出身で、高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は藤沢 一郎(ふじさわ いちろう)。身長177cm、体重120kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭20枚目(1957年9月場所)[1]

来歴・人物

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小学校卒業後は日立航空機に勤務していたが、当時の人気大関前田山に誘われ、1939年(昭和14年)6月に彼が所属する高砂部屋へ入門した[1]

1940年(昭和15年)1月場所で初土俵を踏み、翌年5月場所にて前田山から2字を貰った「前田川」の四股名で、序二段に付け出された。

三段目の地位にあった1944年(昭和19年)11月場所から翌1945年(昭和20年)11月場所までは、兵役に取られていた。

復員後、1950年(昭和25年)9月場所で幕下優勝を遂げ、1951年(昭和26年)9月場所で十両昇進を果たした。最終の四股名「大田山」は、出身地の東京都大田区に因んだ(「前田川」「岩手山(出生地・岩手県の名峰に因む)」を経てこの名を名乗ったが、当初は「太田山」と、点がある方の「おおたやま」だった)。

1954年(昭和29年)5月場所から、1959年(昭和34年)5月場所(※10日目)まで弓取式を披露し、テレビの大相撲中継の普及とともに“弓取式の大田山”として有名になり人気を博した[1]

右四つからの寄りを持ち味に、十両23場所目の1957年(昭和32年)5月場所で12勝3敗と好成績を収め、翌9月場所にて33歳で新入幕を果たした[1]

幕内力士として弓取式を行ったのは、前任者でもある大岩山(立浪部屋)以来であり、当時は横綱・大関に匹敵する人気があった。

しかし幕内では勝ち越すことができず、わずか2場所で十両に陥落した。

1959年(昭和34年)5月場所後、35歳で引退[1]。その後は年寄陣幕を襲名し、1960年(昭和35年)1月からは同・錦戸を名乗って高砂部屋付きの親方として後進の指導に当たり、1989年(平成元年)5月2日付で日本相撲協会を停年退職した。

その間、相撲協会に在籍しつつも、神奈川県横浜市鶴見区(後に同市港北区)で相撲料理店「ちゃんこ 大田山」を経営していた。

停年退職後、『クイズ日本人の質問』に「弓取式で弓を落としたらどうするのか?」という問題の解説役として出演し、実際に弓を足の上に載せて跳ね上げてつかみ取る所作を披露した。この時の放送によれば、通算355回務めた弓取式の中で一度だけ弓を落としたことがあり、実際に足を使って拾ったことがあったという。

1999年(平成11年)11月11日、肺炎のため静岡県内の病院で逝去。75歳没。

主な成績・記録

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  • 通算成績:344勝366敗4休 勝率.485
  • 幕内成績:10勝20敗 勝率.333
  • 現役在位:57場所
  • 幕内在位:2場所
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1956年9月場所)
    • 幕下優勝:1回(1950年9月場所)

場所別成績

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大田山 一朗
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1940年
(昭和15年)
(前相撲) x 番付外
 
x x x
1941年
(昭和16年)
新序
3–0 
x 東序二段45枚目
1–7 
x x x
1942年
(昭和17年)
西序二段64枚目
5–3 
x 東序二段5枚目
1–7 
x x x
1943年
(昭和18年)
西序二段17枚目
6–2 
x 東三段目34枚目
3–5 
x x x
1944年
(昭和19年)
西三段目39枚目
5–3 
x 東三段目15枚目
2–3 
x x 東三段目28枚目

兵役
 
1945年
(昭和20年)
x x x x x 東三段目26枚目
3–2 
1946年
(昭和21年)
x x x x x 西三段目2枚目
4–3 
1947年
(昭和22年)
x x 西幕下26枚目
3–2 
x x 東幕下15枚目
2–4 
1948年
(昭和23年)
x x 西幕下20枚目
1–5 
x 東三段目11枚目
2–4 
x
1949年
(昭和24年)
東三段目20枚目
6–6 
x 西三段目13枚目
10–5 
x 西幕下24枚目
8–7 
x
1950年
(昭和25年)
西幕下19枚目
6–9 
x 西幕下23枚目
10–5 
x 東幕下14枚目
優勝
12–3
x
1951年
(昭和26年)
西幕下2枚目
7–8 
x 東幕下3枚目
9–6 
x 東十両15枚目
9–6 
x
1952年
(昭和27年)
西十両10枚目
9–6 
x 東十両6枚目
6–9 
x 東十両9枚目
9–6 
x
1953年
(昭和28年)
西十両7枚目
8–7 
東十両7枚目
7–8 
東十両10枚目
5–10 
x 西十両14枚目
8–7 
x
1954年
(昭和29年)
東十両13枚目
9–6 
西十両4枚目
7–8 
西十両5枚目
8–7 
x 西十両4枚目
6–9 
x
1955年
(昭和30年)
西十両7枚目
4–11 
東十両17枚目
11–4 
西十両7枚目
8–7 
x 西十両5枚目
8–7 
x
1956年
(昭和31年)
西十両3枚目
6–9 
東十両6枚目
4–11 
東十両14枚目
7–8 
x 西十両15枚目
優勝
12–3
x
1957年
(昭和32年)
西十両3枚目
8–7 
西十両筆頭
5–10 
西十両5枚目
12–3 
x 東前頭20枚目
6–9 
東前頭23枚目
4–11 
1958年
(昭和33年)
西十両3枚目
6–9 
西十両5枚目
8–7 
東十両4枚目
4–11 
東十両11枚目
5–10 
西十両16枚目
8–7 
西十両14枚目
6–9 
1959年
(昭和34年)
西十両17枚目
7–7
1引分
 
東十両17枚目
7–8 
東十両19枚目
引退
1–10–4
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
東海 1 0 泉洋 0 1 大起 1 1 大ノ浦 1 1
小城ノ花 0 1 小野錦 1 1 神錦 0 1 清恵波 0 1
鬼竜川 1 0 鯉ノ勢 1 1 出羽錦 0 1 出羽湊 0 2
鳴門海 0 1 成山 0 1 白龍山 0 2 広瀬川 1 0
八染 0 1 吉井山 0 1 若葉山 0 1

改名歴

[編集]
  • 前田川 一郎(まえだがわ いちろう)1941年5月場所-1947年11月場所
  • 前田川 登一郎(- といちろう)1948年5月場所-1948年10月場所
  • 岩手山 盛一郎(いわてやま せいいちろう)1949年1月場所-1950年1月場所
  • 太田山 一郎(おおたやま いちろう)1950年5月場所-1951年5月場所
  • 大田山 一郎(おおたやま -)1951年9月場所-1952年1月場所
  • 大田山 一朗(- いちろう)1952年5月場所-1953年1月場所
  • 大田山 一郎(- いちろう)1953年3月場所
  • 大田山 一朗(- いちろう)1953年5月場所-1959年5月場所(引退)

年寄変遷

[編集]
  • 陣幕 一朗(じんまく いちろう)1959年5月-1960年1月
  • 錦戸 一朗(にしきど いちろう)1960年1月-1989年5月(停年退職)

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p22