園部町大河内
園部町大河内 | |
---|---|
園部町大河内 | |
北緯35度3分8.049秒 東経135度24分40.880秒 / 北緯35.05223583度 東経135.41135556度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 京都府 |
市町村 | 南丹市 |
旧自治体 | 船井郡園部町 |
面積 | |
• 合計 | 11.34276 km2 |
標高 | 646.8 m |
人口 | |
• 合計 | 139人 |
• 密度 | 12人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
622-0065[4] |
市外局番 | 0771(園部MA)[5] |
ナンバープレート | 京都 |
園部町大河内(そのべちょうおおかわち)は、京都府南丹市の地名。以前は、船井郡園部町大河内(2006年(平成18年)1月1日以前)、船井郡西本梅村大河内(1955年(昭和30年)以前)[6]などと呼ばれていた。
地理
[編集]大河内の小字
[編集]南丹市が公示している園部町大河内の小字は次の通りである[7]。
- アシダコヤ
- 雨ケ谷(あめがだに)
- 入ノ口(いりのくち)
- 上ノ山(うえのやま)
- ウト谷(うとだに)
- 浦田(うらた)
- 浦山(うらやま)
- ウルシ原(うるしばら)
- 榎(えのき)
- 大タワ(おおたわ)
- 岡(おか)
- 奥野々(おくのの)
- 遅野(おその)
- 小田仮(おだかり)
- 垣内(かいち)
- 上大水無(かみおおみずなし)
- 萱刈谷(かやがりだに)
- 河内ケ芝(かわちがしば)
- 川向(かわむかい)
- 北ノ上(きたのうえ)
- 北ヘラ(きたへら)
- グミノ木(ぐみのき)
- 小ガマ(こがま)
- 小米阪(こごめざか)
- 下大水無(しもおおみずなし)
- 高見(たかみ)
- 戸江ノ下(とえのした)
- 中ノ渉リ(なかのわたり)
- 西垣内(にしかいち)
- ノロ
- 東(ひがし)
- 日向(ひなた)
- 桧尾(ひのきお)
- 氷畑(ひばた)
- ヒヤシ
- 広谷(ひろたに)
- 深田(ふかた)
- 二ツ石(ふたついし)
- 間谷(まだに)
- 溝ノ上(みぞのうえ)
- 南垣内(みなみかいち)
- 宮間口(みやまぐち)
- モミノ木原(もみのきはら)
- 矢所(やどころ)
- ユリノ下(ゆりのした)
- ヨコヲ
- 脇谷(わきだに)
山
[編集]大河内周囲にある深山(約791m)、剣尾山(784m)、半国山(774m)などの山は花崗岩、流紋岩、溶結凝灰岩などの岩石で構成されている[8]。
- 深山(みやま)
- 掃雲峰(天狗山)
- 天狗岩がある山。標高723m。
谷
[編集]- 神明谷
河川
[編集]- 園部川
- ノロ川は杉ヶ沢を流れる園部川の支流。淀川水系三次支流の準用河川。
沼湖
[編集]瑠璃渓(るり渓)は、標高340m~530mほどの起伏の山地にできた渓谷で、国の名勝や、環境庁(選定当時。現在の環境省)の残したい日本の音風景100選に選ばれている。「瑠璃」とは、紫色をおびた紺色の宝石のこと。もとは滑石(なめらせき)と称されていたが、1905年(明治38年)に船井郡長の三宅武彦と西本梅村埴生小学校長の竹内源太郎がこの地で遊び、その際に「瑠璃渓」と命名した。その後、来遊した知名士が滝や岩を十二勝として命名した[9]。
延長約4kmの渓谷は、後期白亜紀の有馬層群を削って形成された。瑠璃渓層といわれる岩石は、約7,000~8,000万年前頃の凝灰質泥岩、流紋岩質凝灰岩、流紋岩質溶結凝灰岩などの火山噴出物が約1,500mの厚さに堆積した陸上の酸性火成活動によるものである[10]。
渓谷には中生代白亜紀に噴出した火砕流や、その後の河川の侵食により形成された酸性火砕岩の奇岩が点在して露出している[8]。珍しい岩石としては、火山豆石凝灰岩が見つかっている[8]。ほかに双龍渕のあたりで、湖底に堆積したことを示す縞模様のある凝灰岩や直径1mm程度の赤色のザクロ石を含む凝灰岩も見つかっている[8]。
るり渓十二勝
[編集]- 1 鳴漠(めいばく)
- 2 掃雲峰(そううんぼう)
- 掃雲峰、別名天狗山はるり渓温泉の北西にある標高723mの山。深山(790.5m)に続く峰々の一つ。雲にそびえる高い峰の意味で、第23代内閣総理大臣清浦奎吾が昭和初期に探勝した際に命名したと言われている[11]。山頂に向かう途中に、掃雲の滝や天狗岩がある。
- 天狗岩
- 掃雲峰の標高682mにある岩は、天狗の鼻のように斜め上に突き出ている形状から天狗岩ともいわれ、天狗がこの岩で休んだとの言い伝えもある。昭和初期まで、旱魃(かんばつ)の年は天狗岩の上で柴を焚いて雨乞いをしていた[9]。
- 3 錦繍巌(きんしゅうがん)
- 4 座禅石(ざぜんせき)
- 5 蝶棟泉(たいとうせん)
- 6 渇蚪潤(かっきゅうかん)
- 7 双龍淵(そうりゅうえん)
- 8 玉走盤(ぎょくそうばん)
- 9 水晶廉 (すいしょうれん)
- 10 爛柯石(らんかせき)
- 11 会仙巌(かいせんがん)
- 12 通天湖(つうてんこ)
その他
[編集]るり渓十二勝を除く名所は、下流から順に次の通りである[14][15]。
- 天女洞(てんにょどう)
- 鳴瀑(めいばく)の向かって右側に天女洞と呼ばれる洞窟がある[11]。水音がこの洞窟に反響することから鳴瀑と名付けられた。
- 千秋潭(せんしゅうたん)
- 両岸の紅葉が水面に映り、また落ち葉が一面に敷いたようになることから千秋潭と呼ばれる淵。
- 快刀巌(かいとうがん)
- 刀で割ったような割れ目に松の木が生えてる岩。
- 巨盆巌(きょぼんがん)
- お盆のような平らな巌(巨岩)。
- 龍軻潭(りゅうかたん)
- 龍が歌っているという意味で名付けられた深い淵。
- 沈虎潭(ちんこたん)
- 虎のように見える大きな岩のある淵。低い姿勢で獲物を狙う虎のように見える[11]。
- 高臥石(こうがいし)
- 寝床のような平らな岩。
- 暢申澗(ちょうしんかん)
- 本流に懸かる段瀑[16]。のびやかなせせらぎという意味で暢申澗と名付けられた。
- 弾琴泉(だんきんせん)
- 広いせせらぎの至るところに突き出た石が、たくさんの滝をつくり、さながら琴を弾いているような様子に見えることから弾琴泉と名付けられた場所。
- 玉裳灘(ぎょくしょうたん)
- 美しい衣のような浅瀬であることから玉裳灘と名付けられた場所。
- 宝亀巌(ほうきがん)
- 頭をもたげた亀のような形をした岩。
- 天鼓湍(てんこたん)
- 美しい音色をたてる鼓のようなことから天鼓湍と名付けられた早瀬。
- 浣紗瀬(かんさせ)
- 平らで大きな岩が並ぶ浅瀬。水が流れ落ちて小さな滝をつくっている様子が、うす絹を洗いすすいでいるように見えることから、浣紗瀬と呼ばれている。
- 碁顛石(ごてんせき)
- 碁盤のような正方形な姿をした石。
- 濯錦汀(たくきんてい)
- 水が波立たないような静かな水ぎわであることから名付けられた場所。
- 千幻瀑(せんげんばく)
植生・生物
[編集]植生
[編集]大河内のうちるり渓では、1932年(昭和7年)に景勝地にしていされてからは保安林となり、樹木の伐採が禁止されている。
- ヒメコマツ
- るり渓谷の紅葉
- るり渓谷のツツジ
- 天狗岩のヒノキ
- 天狗岩の間にヒノキが生えている。このヒノキは、「森の京都 天上の木 40選」のうちWeb投票による上位10選に選ばれている[19]。
- その他の植生
生物
[編集]交雑していない日本固有種のオオサンショウウオ、ヒダサンショウウオ、カワヨシノボリ、ハッチョウトンボなどが生息している。
歴史
[編集]大河内は、平安時代中期の949年(天暦3年)ごろに藤原純索(藤原純友の弟)が開拓し、その子孫を頼って源頼一(源頼政の弟)が村に入り、その子孫を頼って入村した楠正末(楠正成の弟)が村の長の跡目を相続したとされる[20][21]。楠氏は田位井・田井・下村と枝分かれした。1532年(天文4年)前後からは高田氏を名乗る家が大河内の楠氏の長となり、大山祗神社の神主や盛光寺の世話役などを務めるようになったという[20][21]。
沿革
[編集]- 1371年(建徳2年) – 楠正成の弟正末が挙兵するも敗れ、1370年(建徳元年)に湯原村に来住。翌年、故郷の名をとって湯原村を大河内村と改名した[22]。
- 1889年(明治22年) – 町村制の施行により、埴生村・天引村・大河内村・法京村・南八田村・殿谷村の区域をもって西本梅村が発足[23]。大河内は西本梅村の大字名となる。
- 1955年(昭和30年) - 西本梅村が園部町に編入され園部町大河内となる。
- 2006年(平成18年) – 園部町・日吉町・ 美山町・八木町の4町合併による南丹市誕生に伴い、南丹市園部町大河内となる。
大河内の略年表
[編集]- 1905年(明治38年) – 三宅武彦(船井郡長)と竹内源太郎(西本梅村埴生小学校長)が瑠璃渓と命名[9]
- 1932年(昭和7年) – 渓谷の主要部が国指定の名勝となる[11]。
- 1942年(昭和17年) – 通天湖の建設
- 1964年(昭和39年) – 京都府立るり渓自然公園に指定[11]
- 1965年(昭和40年) – 奥るり渓の総合開発に阪急資本が着手[24]
- 1970年(昭和45年) – るり渓奥地の深山周辺が航空自衛隊のミサイル基地に内定していることが明らかになる[24]。
- 1975年(昭和50年) – るり溪ゴルフクラブの仮オープン(現在の中コースと西コースの18ホール)
- 1976年(昭和51年) – るり溪ゴルフクラブの正式オープン(現在の東コースにある9ホールの完成)
- 1980年(昭和56年) – 奥るり渓総合開発基本構想樹立[8]
- 1981年(昭和57年) – サイクリングターミナルこぶし荘が開設(宿泊棟、運動場他)[8]
- 1982年(昭和57年) – るり渓ファミリー牧場がオープン[24]
- 1983年(昭和58年) – 勤労者野外活動施設完成(レストラン、テニスコート、ローラスケート場など)[8]
- 1983年(昭和58年) – 京都府立るり渓少年自然の家の設置[25][24]
- 1983年(昭和58年) – 大河内簡易水道完成[24]
- 1984年(昭和59年) – 野外ステージ完成[8]
- 1985年(昭和60年) – るり渓温泉採掘成功、奥るり渓温泉「こぶし荘)」開設[8]
- 1988年(昭和63年) – 京都府道・大阪府道54号園部能勢線バイパス開通[24]
- 1988年(昭和63年) – 京都国体開催(ライフル射撃会場として施設の整備)[8]
- 1988年(昭和63年) – るり渓フラワーガーデン開設[8](のちに、るり渓みどりと憩いの公園 → ポテポテパークの順に名称変更)。園庭は、カナダ・ビクトリア市のブッチャート・ガーデンを模した沈床式
- 1989年(平成元年) – 奥るり渓が鳥獣保護区に指定[24]
- 1993年(平成5年) – 京都の自然200選(地形・地質部門)に選定(京都府)[26]
- 1994年(平成6年) – 7世紀バクタプルのパゴダをモデル[27]にしたネパール友好館が完成[8]
- 1996年(平成8年) – 残したい日本の音風景100選に選定(環境庁)[28]
- 1996年(平成8年) – るり渓高原温泉の採掘[8]
- 1998年(平成10年) – こぶし荘リニューアルオープン[24]
- 1999年(平成11年) – 京都府道・大阪府道54号園部能勢線 大河内バイパス開通[24]
- 2000年(平成12年) – るり渓高原温泉が全国89カ所目の国民保養温泉地に指定(環境省)[8][29]
- 2002年(平成14年) – 心と身体の癒しの森「るり渓温泉」開業[8][24](カトープレジャーグループによる運営[30])
- 2002年(平成14年) – 京都交通バス癒しの森線の運行開始[24]
- 2006年(平成18年) – 天体観測施設「遊星館」が開設[8]
- 2006年(平成18年) – 零式艦上戦闘機(ゼロ戦)風塗装の飛行機の展示施設が開設[8]。展示された機体は、山口県美祢市秋吉町の秋吉台サファリランド日本歴史博物館にあったT-6G[31]
- 2011年(平成23年) – 京都イルミエールの開催[8]
- 2016年(平成28年) – グランピングサイト「GRAX」の開業[8]
- 2016年(平成28年) – 天狗岩のヒノキが「森の京都 天上の木 10選」に選定(京都府)[32]
- 2016年(平成28年) – 大河内脇谷地区が京都府モデルフォレストに指定。大河内生産森林組合、公益社団法人京都モデルフォレスト協会、南丹市、京都府、高砂熱学工業株式会社が協定に調印[33]。
- 2017年(平成29年) – るり渓温泉リニューアルし、グランピングをコンセプトとした「ランタンテラス」の開設[8]
- 2020年(令和2年) – 野中一二三(第6代園部町長)銅像がるり渓温泉に建立[34]
- 2020年(令和2年) – 炭焼き窯が完成[35]
- 2024年(令和6年) – ゼロ戦研究所にあったゼロ戦風塗装の飛行機を兵庫県在住の個人に譲渡[36]
伝承
[編集]天狗岩
[編集]昔、ある男が琉璃渓谷で炭焼きをしていると、法螺貝の音が聞こえたような気がした。音のした方を見ると、岩の所で天狗が法螺貝を吹いていたので、男は驚いて逃げ帰った。それ以来、その岩を「天狗岩」と呼ぶようになった。ある年の夏、田圃の水が足りなくなったので、村人たちは鳴滝から太鼓を叩いて天狗岩に登り、千束の柴を燃やして一日中拝み続けた。すると鳴滝がゴオーと音を立てて鳴り、雨が降り始めたという[37][38]。天狗岩は天狗の棲み処で、天狗はいつもこの岩に座っていたとも伝えられている[39]。
千秋潭の怪
[編集]昔、西本梅村大河内は「怖い所だ」と噂されていた。だが噂を信じない三人の木樵が大河内を訪れ「何が怖いのか」と嘲った。そして彼らが瑠璃渓の千秋潭の畔に辿り着いた時、川上から片方だけの下駄、次いで笏が流れて来た。三人が動じないでいると、今度は蛇の首が流れて来た。それを見た一人はその場で即死し、残りの二人は家まで逃げ帰ったが、間もなく死んでしまったという[40][38]。
国師に化けた鳴滝の古狸
[編集]瑠璃渓の畔に住んでいたおとという猟師がある日、猟を終えたあと仲間が鳴滝(るり渓十二勝の鳴漠)まで帰ってくると、法常寺(亀岡市畑野町千ケ畑)の開祖である仏頂国師が平たい石(るり渓十二勝の座禅石)の上で座禅を組んでいた[38]。仲間は気にせず通り過ぎたが、最後尾のおとは国師の両耳がピクピクと動いているのを見て「こいつは妖怪の類だ」と気づいた[38]。そしておとは一旦通り過ぎてから、後ろ向きに国師目がけて銃を撃った[38]。驚いた仲間が振り返った時、石の上には大きな古狸が血を流して倒れていた[41][38]。
世帯数と人口
[編集]2023年(令和5年)4月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[3]。
世帯数 | 人口 | |
---|---|---|
園部町大河内 | 79世帯 | 139人 |
住民基本台帳による人口の推移によれば、2016年(平成28年)から2023年(令和5年)の転入者は85人、転出者は57人となっている。この多くは、るり渓いろは寮やるり渓やぎ農園社員寮などの社員寮入居者による変動である[42]。
人口の変遷
[編集]以下は、国勢調査による小地域集計が始まった1995年以降の人口の推移。
1995年(平成7年) | 204人 | [43] | |
2000年(平成12年) | 180人 | [44] | |
2005年(平成17年) | 175人 | [45] | |
2010年(平成22年) | 162人 | [46] | |
2015年(平成27年) | 130人 | [47] | |
2020年(令和2年) | 148人 | [48] |
世帯数の変遷
[編集]以下は、国勢調査による小地域集計が始まった1995年以降の世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 65世帯 | [43] | |
2000年(平成12年) | 56世帯 | [44] | |
2005年(平成17年) | 66世帯 | [45] | |
2010年(平成22年) | 63世帯 | [46] | |
2015年(平成27年) | 60世帯 | [47] | |
2020年(令和2年) | 89世帯 | [48] |
交通
[編集]路線バス
[編集]道路
[編集]府道
市道
- 南丹市道大河内るりけい線[50]
主な橋梁
- 癒やしの道(るり渓温泉の駐車場と施設を繋ぐ方向車用連絡通路)
- つうてんばし
- 陰道橋[50]
- 双龍淵の吊橋
- 氷畑橋
- 瑠璃渓橋
- 大河内橋
- かわちはし
近畿自然歩道
[編集]- るり渓を訪ねるみち
- 園部町天引の天引バス停から大河内の奥るり渓バス停までの10.0km区間が、近畿自然歩道るり渓を訪ねるみちに指定されている。
- 半国山を訪ねるみち
山道
[編集]深山や掃雲峰に繋がる山道と、半国山の登山道入口の一つがある。
校区
[編集]施設
[編集]- 大河内公民館
- るり渓遊歩道
- 京都府立るり渓自然公園
- 京都府立るり渓少年自然の家(愛称:グリーンパルるり渓)
- 大河内浄化センター(農業集落排水施設)
- NTT西日本 大河内電話交換所
- 大河内霊園
- 琉雅亭・るり渓観光農園
- るり渓やぎ農園
- 有限会社るり渓やぎ農園が園部町大河内小米阪で運営する農園
- 炭焼き窯
- るり溪ゴルフクラブ
- るり渓清流台コミュニティセンター
社寺
[編集]- 大山祇神社 – 大河内溝ノ上
- 大山祇神社は、大河内溝ノ上にある大河内・杉ヶ沢・法京の氏神の神社。
- 愛宕神社 – 大河内大タワ
- 盛光寺 – 大河内溝ノ上4
- 雨宝院(大師堂)
- 十一面観世音菩薩が祀られている堂。杉ヶ沢集落の中央高台にある。大和の宮司の子箕倉牧太が僧となり、同院に篭り、近隣の病に悩む人を祈祷して、治療してもらう人が多かったと言われている[53]。
- 雨乞い地蔵
- 熊野権現磐祠
- 阿龍山瑞専寺 – 大河内小米阪1番地17
史跡
[編集]- 旧大河内分教場跡
文化財
[編集]大河内にある指定文化財は次の通り[58]。
- 建造物
- 天然記念物
るり渓温泉
[編集]るり渓温泉には、成分にラドンを含む源泉[59]がある。るり渓にある源泉は2ヵ所で、それぞれ「奥るり渓温泉(るり渓フラワー温泉)」「るり渓高原温泉」と名付けられている[8]。
源泉名 | 温度 | 湧出量 | 泉質 | 湧出状況 | 所有者 |
---|---|---|---|---|---|
奥るり渓温泉 | 14.2度 | 114L/分 | 単純弱放射能冷鉱泉
(低張性中性冷鉱泉) |
動力揚湯 | 公益財団法人園部町振興公社 |
るり渓高原温泉 | 23.0度 | 169L/分 | 単純放射能冷鉱泉
(低張性アルカリ性冷温泉) |
別荘地
[編集]大河内には、るり渓清流台(せせらぎの森)という別荘地帯がある。別荘オーナーおよび管理会社による自治管理エリアで、大河内区(自治組織)とは関わりがない。道路や水道についても民間の管理となっている[60]。ただし、火災などに関しては、消防団が出動するなどの関わりがある。
清流台は、「京都の軽井沢」や「関西の軽井沢」と言われ、1972年(昭和47年)頃に開発された。開発業者所有のプールやこれから作るという温泉の無料利用特典をうたい販売してきたが、開発業者は倒産。管理を引き継いだとする会社も倒産[61]。その後の管理を引き継いできた業者者も、別荘所有者と管理費などについて度々トラブルになっている[62][63]。
清流台には、これまでの管理者と思われる複数の会社名(ZKR環境管理株式会社、株式会社ケイ・アール・ジー、KRGランド株式会社、シニアメンバーズ株式会社、KRG共益施設・維持管理株式会社、HABITAまちづくり株式会社、KRGホーム株式会社、KRG管理センター株式会社)(いわゆる旧KRGグループの会社)の看板が設置されている。
KRGグループは、全国の立ち行かなくなった分譲地の道路・水道・排水路等など購入して、分譲地内の所有者から管理費を得ることを業とする企業である[64][65]。
その他
[編集]組織
[編集]- るり渓観光協会
- 南丹市観光協会連絡会に加盟。
- 大河内生産森林組合
- 大河内地域自然エネルギープロジェクト(略称はOEP)
- るり渓 森のガイドの会
主な商店
[編集]- 琉雅亭・るり渓観光農園
- ハミングバード通天湖
- りんご村
るり渓小唄・続るり渓小唄
[編集]るり渓谷小唄は「春は桜の るり渓道中ヨー」で歌い出される小唄。続るり渓小唄の歌い出しは「空はかすみのうすむらさきにヨー」。両小唄は1946~1947年頃の作成で、共に作詞:小畠秀夫、作曲:奥村行雄、振付:若柳吉里頼。
雨乞い
[編集]1585年(天正13年)はひどい旱魃が続き、大河内で農作物・家畜・漁業等に大きな被害がでた。千束柴を作りその頂で天高く積み上げ、お神酒を供え、柴を燃やし般若心経を唱えて雨乞祈祷をしたという[66][67][68]。
大河内での雨乞祈祷には手順がある。雨乞の日取りが決まれば、全戸各1名が仕事着で身を固めて鎌・ナタ・のこぎりなどといった道具を持って、当日の午後に鳴滝の前に集合する。まず雨乞い地蔵の頭を固く縛り、鳴瀑の滝壺に沈め、「雨を降らせてほしい」「叶えて下さればすぐに元にお返しいたします」と唱えてお願いする。それから一行は太鼓をたたきながら高さ700mの頂にある天狗岩まで登り、岩山山頂一帯の下草芝刈りをし、周りの雑木を切り千束柴の薪づくりに取りかかる。それを高く井形に積み上げ、祈りながら点火する。燃え上がった千束柴の火を取り囲み、「お天とうさま、どうか雨を降らしたまわれ」と天に向かって大声でお願いする。祈祷は火が鎮火するまで一日中続く。滝が「ゴオー」と音をたてて鳴り、慈雨が降りはじめたという[66][67][68]。
石の動物たちの広場
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
カブトムシ広場
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
るり渓温泉(カトートレジャーグループ)、南丹市にある2つの特定非営利活動法人、カブトムシ愛好家市民の4者協働で組織されたるり渓ビートルアトラクション実行委員会がはじめた取り組みが走りとなり、ポテポレパーク内にカブトムシ広場が設けられた。
大河内を舞台・ロケ地とした作品
[編集]- 音楽PV「夏の恋はいつもドラマティック」(発売:2021年、SARD UNDERGROUND)
- 撮影地:るり渓温泉ポテポテパーク[69]
- 映画「ヴィレッジ」(公開:2023年、監督:藤井道人)
- 撮影地:琉雅亭[70]
公衆トイレ
[編集]大河内には、公衆トイレが3ヵ所ある。京都府道・大阪府道54号園部能勢線沿いの2ヵ所(琉雅亭向いと、通天湖向い。駐車場あり)と、るり渓遊歩道にあるバイオトイレ。
脚注
[編集]- ^ “京都府南丹市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2024年3月22日閲覧。
- ^ 標高海抜ナビ. “南丹市の標高”. 標高海抜ナビ. 2024年9月2日閲覧。
- ^ a b “人口・世帯数集計表(令和5年5月1日現在)”. 南丹市 (2023年5月1日). 2024年3月22日閲覧。
- ^ “園部町大河内の郵便番号”. 日本郵便. 2024年3月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ 合併情報 -南丹市、2016-03-09旧ページ閲覧。
- ^ “南丹市園部町大河内 新旧住所表記対比表”. 南丹市. 2024年8月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 環境省. “るり渓高原温泉 国民保養温泉地計画書”. 環境省. 2024年9月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 南丹市. “るり渓・深山ハイキングマップ”. 南丹市. 2024年3月23日閲覧。
- ^ a b 京都府. “京都府レッドデータブック2015 瑠璃渓”. 京都府. 2024年10月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 京都府. “京都府立るり渓自然公園”. 京都府. 2024年9月2日閲覧。
- ^ 滝ペディア. “瑠璃渓/双龍淵”. 滝ペディア. 2024年3月23日閲覧。
- ^ 滝ペディア. “瑠璃渓/水晶廉”. 滝ペディア. 2024年3月23日閲覧。
- ^ 『郷土誌丹波古道第2集 るり渓』本梅探友会、2002年4月10日。
- ^ 『るり渓と南丹の名所 名勝指定90周年・令和4年度春季企画展』南丹市立文化博物館、2022年3月31日。
- ^ 滝ペディア. “瑠璃渓/暢申澗”. 滝ペディア. 2024年9月9日閲覧。
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関連項目
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