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藤森美恵子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大岩美恵子から転送)
藤森 美恵子
Mieko FUJIMORI
フィギュアスケート選手
生誕 東京都
死没 2017年2月14日(満77歳)

藤森 美恵子(ふじもり みえこ、旧姓:大岩、1939年もしくは1940年 - 2017年2月14日[1])は、日本の元フィギュアスケート選手(ペアスケーティングアイスダンス)、審判。

夫は元日本スケート連盟会長代行の藤森光三、兄弟に元フィギュアスケート選手の長瀬洋子(旧姓 大岩)、義兄弟に1960年ローマオリンピックの競泳男子800m自由形リレーの銀メダリストの石井宏、甥に2024年パリオリンピック総合馬術団体の銅メダリストの大岩義明[2]、祖父に元名古屋市長大岩勇夫 [3]がいる。

全日本フィギュアスケート選手権ペア優勝。世界フィギュアスケート選手権ペア日本代表。

経歴

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1960年、小野長久とアイスダンスのカップルを組み全日本選手権で3位となる。1961年道家豊とカップルを組み直し、出場した全日本選手権でも3位となった。

1962年から1963年は道家豊と組んでペアに出場し全日本選手権で優勝。1962年の世界フィギュアスケート選手権には、日本人としては初めてペアに出場し、13位となった。

引退後は「ジャッジが頑張って海外に出ていかないと、世界で戦える選手は育たない」と考え、ジャッジ活動をスタート[4]冬季オリンピックでは、1992年アルベールビルオリンピックから2010年バンクーバーオリンピックまで6度の五輪を経験した[4]。また、J SPORTSで解説も務めていた[5]

2017年2月14日に脳梗塞により死去[4]

主な戦績

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  • 1959年-1960年までは小野長久とアイスダンス。
  • 1960年-1961年は道家豊とアイスダンス。
  • 1961年-1962年以降は道家豊とペアスケーティング。
大会/年 1959-60 1960-61 1961-62 1962-63
世界選手権 13
全日本選手権 3 3 1 1

脚注

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  1. ^ “元世界選手権ペア代表・藤森美恵子さんが死去”. サンケイスポーツ. (2017年2月15日). http://www.sanspo.com/sports/news/20170215/fgr17021505000001-n1.html 2017年2月15日閲覧。 
  2. ^ "「僕の仕事はゴキブリ駆除でした」総合馬術銅"初老ジャパン"の最年長、大岩義明48歳の運命を変えたのは…「初老」の相棒との奇跡の出会い". NumberWeb. 文藝春秋. 1 September 2024. 2024年9月4日閲覧
  3. ^ 河村名古屋市長「金メダルは色々ややこしい」総合馬術団体で“銅”の大岩選手を祝福 戦前の市長のひ孫とも判明”. ニュースOne 公式YouTubeチャンネル. 東海テレビ (2024年8月16日). 2024年8月16日閲覧。
  4. ^ a b c "伊藤、浅田のメダルを後押し。国際審判員の藤森さん逝く。~褒め上手であり、鋭い採点の人~". NumberWeb. 文藝春秋. 30 March 2017. 2024年9月4日閲覧
  5. ^ J SPORTS|素晴らしきスケーターの系譜 解説者プロフィール

関連項目

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