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大岩勇夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大岩 勇夫
おおいわ いさお
生年月日 慶応3年5月22日1867年6月24日
出生地 三河国加茂郡花本村
(現在の愛知県豊田市
没年月日 昭和30年(1955年7月7日
出身校 東京法学院(現在の中央大学
所属政党 立憲同志会

愛知県の旗 愛知県会議員

名古屋市会議員
当選回数 4
在任期間 1910年 - 1927年

日本の旗 衆議院議員
選挙区 愛知県郡部2区
当選回数 1
在任期間 1915年 - 1917年

名古屋市長
当選回数 3
在任期間 1927年8月1日 - 1938年12月5日
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大岩 勇夫(おおいわ いさお、慶応3年5月22日[1][2]1867年6月24日) - 昭和30年(1955年7月7日)は、日本の政治家弁護士名古屋市長衆議院議員立憲同志会)などを務めた。

経歴

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三河国加茂郡花本村(現在の愛知県豊田市)出身[2]東京法学院(現在の中央大学)に入学し、在学中の1890年に代言人試験に合格した[1]。翌年に卒業した後、弁護士を開業し、名古屋弁護士会会長も務めた[1][3]

1899年、愛知県会議員に選出された[1]1910年からは名古屋市会議員となり、3回にわたって議長を務めた[1]1915年第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選[4]。一期務めた。その他、愛知セメント株式会社専務、中京法律学校理事も兼ねた[3]

1927年、名古屋市長に就任。三期11年にわたって市政を運営し、在任中の1937年には名古屋汎太平洋平和博覧会を開催した。

曽孫は2024年パリオリンピック総合馬術競技、銅メダリストの大岩義明 [5]、孫に元フィギュアスケート選手の長瀬洋子藤森美恵子(共に、旧姓 大岩)[6]

参考文献

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  • 衆議院事務局『衆議院要覧下巻 大正4年11月増訂』1915年。 
  • 手島益雄『名古屋百人物評論』日本電報通信社名古屋支局、1915年。 
  • 馬場籍生『名古屋新百人物』珊珊社、1921年。 
  • 名古屋毎日新聞社『中京名鑑』1932年。 

脚注

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  1. ^ a b c d e 『中京名鑑』
  2. ^ a b 『名古屋百人物評論』
  3. ^ a b 『名古屋新百人物』
  4. ^ 『衆議院要覧』
  5. ^ 河村名古屋市長「金メダルは色々ややこしい」総合馬術団体で“銅”の大岩選手を祝福 戦前の市長のひ孫とも判明”. ニュースOne 公式YouTubeチャンネル. 東海テレビ (2024年8月16日). 2024年8月16日閲覧。
  6. ^ "「僕の仕事はゴキブリ駆除でした」総合馬術銅"初老ジャパン"の最年長、大岩義明48歳の運命を変えたのは…「初老」の相棒との奇跡の出会い". NumberWeb. 文藝春秋. 1 September 2024. 2024年9月4日閲覧