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服部小十郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
服部小十郎
はっとり こじゅうろう
生年月日 1860年4月11日
出生地 日本の旗 日本 愛知県
没年月日 (1911-04-08) 1911年4月8日(50歳没)[注釈 1]
前職 実業家
所属政党立憲政友会→)
中正倶楽部→)
甲辰倶楽部→)
大同倶楽部
称号 勲四等

選挙区 愛知県名古屋市選挙区
当選回数 3回
在任期間 1902年 - 1908年3月27日

第5代 名古屋市会議長
在任期間 1902年1月11日 - 1903年1月10日

選挙区 名古屋市選挙区
当選回数 5回
在任期間 1892年 - ?

名古屋市会議員
当選回数 4回
在任期間 1889年 - 1911年4月8日[注釈 1]
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服部 小十郎(はっとり こじゅうろう、1860年4月11日万延元年3月21日[1]) - 1911年明治44年)4月8日[2][3][注釈 1])は、日本の実業家政治家衆議院議員(3期)。勲等は勲四等[4]

経歴

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愛知県出身[2]漢学を学ぶ。木材商を営み、所得税調査委員となる[2]。また、名古屋商工会議所議員、第四十六国立銀行・愛知実業銀行・愛知セメント・名古屋倉庫名古屋電気鉄道日本車輌製造・愛知木材・明治銀行・豊川鉄道取締役、愛知県燐寸専務取締役、名古屋生命保険名古屋株式取引所・大阪材木各監査役、名古屋商品取引所理事を務めた[2]

1889年(明治22年)10月の名古屋市会議員選挙で初当選した[3]。また、1892年(明治25年)3月の愛知県会議員補欠選挙に名古屋市選挙区から立候補して、県会議員にも当選した[5][6][注釈 2]。その後、1895年(明治28年)10月、1901年(明治34年)10月にも市会議員に当選した[3]1902年(明治35年)1月11日から1903年(明治36年)1月10日まで第5代名古屋市会議長を務めた[7]

1902年(明治35年)の第7回衆議院議員総選挙において名古屋市選挙区から立憲政友会公認で立候補して初当選する[8]。1903年(明治36年)の第8回衆議院議員総選挙では中正倶楽部から出馬して再選[9]1904年(明治37年)の第9回衆議院議員総選挙では甲辰倶楽部から出馬して三選した[10]1907年(明治40年)10月にも市会議員に当選した[3]。衆議院議員を3期務め、1908年(明治41年)の第10回衆議院議員総選挙は不出馬[注釈 3]。1911年(明治44年)に名古屋市会議員在職中に死去した[11][注釈 1]

出典

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注釈

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  1. ^ a b c d 『名古屋市会史 第1巻 323コマ』には明治44年4月12日が死亡日となっているが、『名古屋市会史 第1巻 273コマ』には明治44年4月8日となっている
  2. ^ 県会議員は当選5回[5]
  3. ^ 最終所属は大同倶楽部[4]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第二十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1904年、12頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』509頁。
  3. ^ a b c d 名古屋市会史 第1巻 273コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b 総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回 186コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b 愛知県議会史 第2巻 229コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 愛知県議会史 第2巻 328コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 名古屋市:歴代議長一覧表(市会情報)”. www.city.nagoya.jp. 2024年7月24日閲覧。
  8. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』36頁。
  9. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』41頁。
  10. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』45頁。
  11. ^ 名古屋市会史 第1巻 323コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。