コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

大場勲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 大場 勲 
Isao OHBA
基本情報
名前 大場 勲
生年月日 1941年3月10日
身長 170 cm (5 ft 7 in)
体重 68 kg (150 lb)
国籍 日本の旗 日本
経歴
テンプレートを表示

大場 勲(おおば いさお、1941年3月10日 - )は日本プロゴルファー

来歴

[編集]

1973年全日空札幌オープン島田幸作青木功と並んでの10位タイ[1]に入り、日本のプロ競技で初めて行われたチャリティートーナメント「ソニーチャリティークラシック」[2]では初日に11番でホールインワンを達成[3]。2日目には吉川一雄と共に浮上し、初日の1番でホールインワンを達成していた杉本英世[3]、コースレコード64で首位[3]スタートながら2オーバーを叩いた森憲二、初日3位タイの内田久寿雄[3]と並んでの7位タイ[4]に着ける。最終日は32.5度の炎天下で苦しいゴルフとなったが、アメリカPGAツアーの強豪であるレイモンド・フロイドミラー・バーバー[5]や青木・杉原輝雄らを抑え[6]、6アンダー66で前日の12位から一気に田中文雄の2位[7]まで浮上[8]

その後の関西プロでは川上実と並んでの6位タイ[9]に入り、ゴルフダイジェストトーナメントでは同年2度目のホールインワン[10]を達成、ダンロップフェニックストーナメントの前身に当たる「全日空フェニックストーナメント」[11]では村上隆竹安孝博と並んでの6位タイ[12]に入った。

1974年静岡オープンでは謝永郁(中華民国)・橘田規と並んでの6位タイ[13]1975年のスポーツ振興インターナショナルでは島田・山本善隆と並んでの7位タイ[14]に入った。

1975年の中部オープンでは3日目に鈴村久陳健振(中華民国)と並んでの3位タイ[15]に浮上し、最終日には69をマークして首位の野口英雄に並ぶが、プレーオフの末に2位[16] [17]に終わる。

1976年の同大会では陳健・鈴木豊に次ぐと同時に鈴村照男と並んでの3位タイ[18]に入る。

1976年の関西プロでは初日に67、最終日には64をマークして能田征二と並んでの3位タイ[19]に入り、ダンロップフェニックスでは2日目の3番でホールインワンを達成[10]。4番アイアンでうまく手前に落ちて転がって入り、試合では3年ぶり3度目のホールインワン[10]であった。3番ホールは通算13回とフェニックスカントリークラブの4つあるパー3ホールの中で最も多くのホールインワンが記録されているが、初めてのホールインワン[10]を記録したのが大場であった。

1978年には第1回富山県オープンで優勝し[20]、中部オープンでは井上幸一鈴村久石井秀夫内田繁石井裕士・野口に次ぐと同時に豊田明夫と並んでの10位タイ[21]に入る。

1979年には阿蘇ナショナルパークオープン野口茂と並んでの4位タイ[22]、関西プロで中村通宮本康弘・内田・鈴木規夫・山本・井上・吉川一雄・石井に次ぎ、入江勉出口栄太郎と並んでの9位タイ[23]に入った。

主な優勝

[編集]
  • 1978年 - 富山県オープン

脚注

[編集]
  1. ^ 朝日新聞縮刷版p303 昭和48年7月9日朝刊19面「尾崎、ジャンボな逆転 最終日 12位から一気に優勝 全日空札幌ゴルフ
  2. ^ 2003選手紹介
  3. ^ a b c d 朝日新聞縮刷版p453 昭和48年7月13日朝刊19面「杉本・大場ホールインワン エアロ慈善ゴルフ
  4. ^ 朝日新聞縮刷版p489 昭和48年7月14日朝刊19面「木本、レガスピが首位に エアロ慈善ゴルフ
  5. ^ IGIA会長 田中文雄
  6. ^ 2003選手紹介
  7. ^ McCormack, Mark H. (1974). The World of Professional Golf 1974. Collins. pp. 323, 544. ISBN 0002119544 
  8. ^ 朝日新聞縮刷版p557 昭和48年7月16日朝刊19面「花開いた日米の新鋭 田中、1打差の逃げ切り
  9. ^ 朝日新聞縮刷版p308 昭和48年9月9日朝刊18面「関西プロは島田が優勝
  10. ^ a b c d ダンロップフェニックストーナメント|DUNLOP PHOENIX TOURNAMENT
  11. ^ 毎日放送40年史編纂室(編集)『毎日放送の40年』毎日放送、1991年、258頁。 
  12. ^ 朝日新聞縮刷版p318 昭和48年12月10日朝刊14面「宮本プロ入り初優勝 1打差 2位に吉川・尾崎 フェニックス・ゴルフ
  13. ^ 朝日新聞縮刷版p801 昭和49年11月25日朝刊19面
  14. ^ 朝日新聞縮刷版p867 昭和50年7月28日朝刊13面「宮本康が逃げ切る インターナショナル・オープンゴルフ
  15. ^ 朝日新聞縮刷版p597 昭和50年7月19日朝刊17面
  16. ^ 朝日新聞縮刷版p627 昭和50年7月20日朝刊15面
  17. ^ 中部オープンゴルフ選手権競技 1975 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  18. ^ 朝日新聞縮刷版p576 昭和51年7月18日朝刊16面
  19. ^ 朝日新聞縮刷版p41 昭和51年8月2日朝刊17面「前田が逆転優勝 関西プロゴルフ
  20. ^ クラブの歴史 | 呉羽カントリークラブ
  21. ^ 朝日新聞縮刷版p538 昭和53年7月16日朝刊18面「井上が初栄冠 中部オープン
  22. ^ 朝日新聞縮刷版p310 昭和54年4月9日朝刊12面
  23. ^ 朝日新聞縮刷版p50 昭和54年7月2日朝刊18面「中村通逃げ切る 関西プロゴルフ

外部リンク

[編集]