野口裕樹夫
Yukio NOGUCHI | |
---|---|
基本情報 | |
名前 | 野口 裕樹夫 |
生年月日 | 1950年4月27日(74歳) |
身長 | 170 cm (5 ft 7 in) |
体重 | 80 kg (176 lb) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 山梨県 |
経歴 |
野口 裕樹夫(のぐち ゆきお、1950年4月27日 - )は山梨県出身のプロゴルファー。
来歴
[編集]山中湖村立山中湖中学校[4]時代はスピードスケートの選手で、15歳の頃からゴルフを始め、卒業後すぐにプロの手ほどきを受けた[5]。
1971年にプロ入りし[6]、1976年のヤングライオンズで入江勉・高井吉春・寺田寿と並んでの7位タイ[7]、同年の関東オープン13位[5]が主な成績であった。
1977年の阿蘇ナショナルパークオープンでは初日を金井清一・藤井義将・尾崎将司と並んでの2位タイ[8]スタートし、2日目には新井規矩雄と並んでの首位タイに浮上[9]。最終日には3アンダー213で金井・新井らベテラン勢に競り勝ち、最終ホールをバーディで決めてプロ入り初優勝[1] [10]、賞金150万円と副賞の子牛を獲得[5]。
1979年はツアー開幕戦となった静岡オープンでは最終日に矢部昭と一騎打ちを演じ、優勝争いは最後までもつれたが、17番で6mを沈めバーディとした矢部が一歩抜け出して優勝している[2]。
1985年には日本プロで初日首位[11]に立ち、周囲を驚かせる[3]。海老原清治が腰痛のため、大会前日に出場を辞退し、大会本部で当時シード権があった前年賞金ランク40位より下の選手をあたったが、連絡のつかない選手を飛ばして、52位の野口が夕方になってようやくつかまった[3]。野口は自宅の静岡県浜松市から会場近くの茨城県鹿嶋市に夜11時過ぎに到着し、当日はぶっつけ本番でハウスキャディに攻め方を全部教わり、6アンダー[11]67をマークして飛び出した[3]。
1990年には賞金ランク60位に入り40歳で初のシード入りし、1992年にはグローイングツアーで2勝して賞金ランキング1位になりシード権を取り戻した[12]。
1991年のヨネックスオープン広島では初日にショット、パットとも好調で後半29の好スコアを出すなど8バーディ、2ボギーで回り、6アンダー65で首位に立った[13]。2日目には雷雨で1時間の中断があった中、スコアを3つ伸ばし、通算9アンダー133で単独首位を守った[14]。3日目にはスコアを3つ落として4位タイに後退し[15]、最終日には中嶋常幸・尾崎将・牧野裕・横島由一と並んでの9位タイ[16]に入った。
2000年からはシニア入りし、同年の日本シニアオープンでは高橋勝成と2打差の2位に入る[17]。3年目の2002年にはアデランスウェルネスオープンで2日目にベストスコアの66をマークして首位に立つと、2位に3打差を付けて悠々逃げ切り勝ちし、念願のシニアツアー初優勝を飾った[12]。賞金ランクでは3年連続賞金王の高橋には及ばなかったものの、2位に入って気を吐いた[12]。
2004年はシード落ちして、予選会突破からの出場であったが、シニアツアー競技全試合に出場、PPTリボーネストと日本シニアオープンで8位タイなど堅実な成績を残し、賞金ランク16位でシード復活を果たした[18]。
2005年は再びシード落ちしたが、後援競技のアサヒ緑健TVQシニア[19]、1日大会の全日本シニアプロアマ[20]で優勝する。
2006年にはアデランスシニアで4位タイ、ファンケルクラシック8位と気を吐き、賞金ランクも前年の55位から14位に大躍進し、見事シード復活を果たした[21]。
2009年の日本オープン[22]を最後にレギュラーツアーから引退し、2018年には静岡プログランドシニアで藤間達雄・今井昌雪を抑えて優勝する[23] [24]。
主な優勝
[編集]- レギュラー
- 1977年 - 阿蘇ナショナルパークオープン
- 1988年 - KPGAトーナメント(春)
- 1992年 - 後楽園カップ(第3回・第5回)
- 1995年 - 栃木オープン
- 1997年 - 後楽園カップ(第3回)
- シニア
- 2000年 - 杉原輝雄シニアクラシック
- 2002年 - アデランスウエルネスオープン
- 2005年 - アサヒ緑健TVQシニア、全日本シニアプロアマ
脚注
[編集]- ^ a b “野口茂(豊岡国際) 男子プロゴルファー “阿蘇ナショナル・パークオープンゴルフ” 最終日 優勝”. photobank.mainichi.co.jp. 2023年8月3日閲覧。
- ^ a b “【ゴルフ初物語】Vol.73 男子開幕戦といえば、かつては強い海風が名物の「静岡オープン」だった”. my-golfdigest.jp. 2023年8月3日閲覧。
- ^ a b c d “第53回日本プロゴルフ選手権(1985年)”. www.golfdendou.jp. 2023年8月3日閲覧。
- ^ “野口 裕樹夫選手 プロフィール - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年8月3日閲覧。
- ^ a b c 朝日新聞縮刷版p358 昭和52年4月11日朝刊18面「野口、プロ入り初勝利 阿蘇オープン・ゴルフ」
- ^ “野口裕樹夫 ノグチ ユキオ YUKIO NOGUCHI”. www.smile-pga.jp. 2023年8月3日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p538 昭和51年8月20日朝刊16面「中島、逆転優勝飾る ヤングライオンズ・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p295 昭和52年4月9日朝刊15面「田野倉が首位に 阿蘇オープン・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p324 昭和52年4月10日朝刊16面「新井規ら三人首位に並ぶ 阿蘇オープン・ゴルフ」
- ^ McCormack, Mark H. (1978). The World of Professional Golf 1978. Angus & Robertson. pp. 198–199, 341. ISBN 0207958173
- ^ a b “野口茂 男子プロゴルファー “日本プロゴルフ選手権” 第1日(著作権・スポニチ)”. photobank.mainichi.co.jp. 2023年10月21日閲覧。
- ^ a b c “2003年シニア選手紹介”. 2004年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月6日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p568 平成3年7月12日朝刊22面「ベテラン野口リード ヨネックスオープン第1日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p624 平成3年7月13日朝刊22面「野口が単独首位守る ヨネックスオープン第2日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p685 平成3年7月14日朝刊23面「水巻抜け出る 2差で追う米山 ヨネックスオープン第3日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p725 平成3年7月15日朝刊23面「板井40歳逆転初優勝 ヨネックスオープン最終日」
- ^ “日本シニアオープン、高橋が初優勝。2000年10月30日 朝刊”. www.nikkei.com. 2023年8月3日閲覧。
- ^ “2005年シニア選手紹介”. www.pga.or.jp/. 2023年8月3日閲覧。
- ^ “アサヒ緑健カップTVQシニアオープンゴルフ:第7回大会”. 2023年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月4日閲覧。
- ^ “富士箱根カントリークラブ”. www.fujihakone-cc.com. 2023年8月4日閲覧。
- ^ “2007年シニア選手紹介”. www.pga.or.jp. 2023年8月3日閲覧。
- ^ “野口 裕樹夫選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年8月3日閲覧。
- ^ “第30回静岡プロゴルフ選手権大会 グランドシニア”. www.asagiri.net. 2023年11月13日閲覧。
- ^ “2018 静岡プロゴルフ選手権大会速報”. www.asagiri.net. 2023年8月4日閲覧。