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大伴和武多麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大伴和武多麻呂
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上左近衛少将
主君 平城天皇嵯峨天皇
氏族 大伴氏
父母 父:大伴潔足
兄弟 和武多麻呂藤原雄依
伴須賀雄源能有
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大伴 和武多麻呂(おおとも の わむたまろ)は、平安時代初期の貴族参議大伴潔足の子とする系図がある。官位従五位上左近衛少将

経歴

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平城朝にて従五位下・左近衛少将に叙任される。大同4年(809年)従五位上に昇叙され、常陸権介を兼ねる。

大同5年(810年薬子の変が発生すると、武蔵権介次いで日向権守に左遷された。

人物

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先祖伝来の射礼の作法を良く伝えていた。同じく射礼の作法を受け継いでいた紀興道と並び称されたという[1]

官歴

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日本後紀』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『続日本後紀』承和元年6月21日条
  2. ^ a b c 鈴木真年『百家系図』巻59,大伴宿禰

参考文献

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